閉じる

伝記評伝評論

はてなぶろぐのアイコンがワニの目みたいで怖い、という話はともかく。

丸谷才一の伝記を書こうかと思っても、日記や書簡などの資料がないとちゃんとしたものは書けない。

というのを読んで、小室直樹の本を書かないかとこないだ話をもちかけられて、私は小室直樹のファンではあるかもしれないが、弟子でもなければ知人でもないし、書簡や日記などの収集などしていないし、そもそも小室直樹の評伝などはものすごいのがいくつも出ているので、そう簡単には書けないな、などと思ったことを思い出したのだが、たぶん私は丸谷才一の伝記は書けないけど悪口ならいくらでも書けるだろうなと思った。

小室直樹にしても、小室直樹の栗山潜鋒論はおかしいとか、三島由紀夫論はここが変とかなら、いくらでも書けそうな気がする。それはなんというか、伝記ではなくて評論なのかな。よくわからん。

小室直樹がいったい誰に影響を受けたのかということをまじめに調べることにはあまり意味がないように思う。彼が子供時代には軍国少年向けのあまりたちのよろしくない雑誌や読み物がたくさんあった。カッパブックスはその戦後バージョンに過ぎない。

小室直樹が湯川秀樹に憧れて理系に進んだというのも、日本はリベラルアーツに数学が含まれないから駄目だと言ったというのも、たぶんなんかの記事を鵜呑みにしただけで、彼が「理系」というものをきちんと認識していたかはあやしい。もちろん彼は数学は得意だったのだろう。彼は理系も文系もどちらも選べたので、博士とかノーベル賞などに比較的近い理系を選んだのではなかろうか。

栗山潜鋒に関する認識は今読み返すと、勢いだけあって非常に雑であり、彼が水戸学や崎門学などをきちんと勉強したとはとても思えないし、そもそ保建大記をじかに読んだとも思えないし、さらに言えば江戸時代の国学や儒学や史学を原著にあたって調べたとはとても思えないのである。さもなくば彼は極貧生活の中、出版社から催促され、生きるためにろくに調べもせずにああいう本を書き殴ったのだろうか。

むしろ逆に、私が学生の頃読んでふざけてるのかと思えた「三島由紀夫が復活する」はきちんと現地取材してインタビューまでして書いたきわめてまじめな本であることがわかる。三島由紀夫認識もそれなりに読みごたえがある。高校生かあるいは大学生になりたてだった私にはカッパブックスのほうがきちんと編集者が付いたまともな本に見えて、「三島由紀夫が復活する」のほうは編集者もつかず自費出版みたいな形で小室直樹が書きたいことをそのまま書いた本かと思っていた。

今の出版事情も大差あるまい。もののわかってない読者には、単にインプレ稼ぎな本のほうが良い本に見えたりするのだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。必須項目には印がついています *