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絨毯職人

「あまりにも話さなきゃいけないことが多くて、どういう順番で、何から話し始めようか、どんなふうにかいつまんで話そうか、その順番と段取りを決めるだけで、考え込んでしまうよ。僕はいつも君に話をはしょらなきゃいけない。僕たちの関心事はいつも同じ、たった一つのこと。王は次に、どこへ行こうとしているのか?次にどんな戦争が起こるか。そうだね。」

「ええ。そうですね。」

「でも王は今迷っている。どうしていいかわからなくなった。ではこのバビュロンが彼の最終目的地か?万事めでたしめでたしか。そうだったらどんなに良かっただろう。みながそうであれば良いのになと思っている。君だってそうだろ?」
「いや、別にそんなことは、考えたこともなかったけれども。」
「王はこの城に入ってたちまちこの城に飽きた。ここにはもう長居したくない。しかしどこへ行けばわからない。
そうすると王はもう何もかも考えるのが嫌になる。そして誰にも会わず、ひとりで塞ぎ込んでしまうんだ。一ヶ月ばかりは、面会謝絶で王宮の中に閉じこもっていた。ベッドで寝ることもなく、絨毯に寝そべってね。
そのうち絨毯の毛玉が取りたいって言いだしたんだ。そんなことは召使いにお命じになってくださいと言っても、自分で取りたいと言い張り、ハサミでちょきちょき切り始めたんだ。毛玉は手で摘まんでむしっちゃだめだ、ちゃんとハサミで切らなきゃダメだ、なんて言ってね。
見かねた従者が、毛玉取り専用の工具を王に差し上げたら、これは実にはかどると、大変なおよろこびでなあ。王宮中の絨毯の毛玉を取ると言い出して、毎日毛玉ばかり取っていた。バビュロン市の絨毯全部、自分で毛玉を取ると言い出した。」

「病んでますね、それは。」

王の身を案じるというより、話をはしょらないといけないと言いながら、あまり重要でもなさそうな毛玉取りのことを延々と話し出したハルパロスに私は半ばあきれかえった。

「絨毯を織る職人になりたいっていうんならまだわかるが、絨毯の毛玉を取る職人になりたいなんて。それで僕は例によって、ペルディッカスはまだ動けないから、ラオメドンに声をかけて、アレクサンドロスを連れて、バビュロンのバザールにお忍びででかけたのさ。そうしたら多少は、アレクサンドロスの気が紛れるんじゃないかと思って。」
「君らは好きだねそういう忍び歩きが。」
「だが王はまたしても、市場で売ってる絨毯にばかり興味を示すのさ。あの絨毯を買ってくれとかこれも買ってくれとか。買うのはかまわないけど今日のところは下見にしておきましょうね、とかなんとか言ってやりすごそうとしたんだが、ある店の前で王はもうテコでも動かなくなってね。」
「はあ。」
「俺はこの店の絨毯が気に言ったから、店丸ごと買いたい、なんて言い出した。」
「酔狂ですね。」
「それで王の気が済むならばと、僕は王の金庫番だからね、店ごと絨毯を買いあげたらいくらするかって店主に尋ねたら、「全部まとめてとは、お客さん気前がよい、絨毯1本あたり10ダリックはくだらないところだが、大負けにまけて、1本1ダリック、店全部で100ダリックにしといてやろう、良い買い物でやしょう旦那、」なんて言うんだ。」
「高いのだか安いのだか相場が良くわからないね。」
「ペルシャの1ダリック金貨は、アテナイの1ドラクマ銀貨25枚分と等価だ。どんなに豪華で精密に織られた絨毯だろうと、1枚250ドラクマはちと値が張りすぎるってもんだ。しかし店ごと買って100ダリック、2500ドラクマ。王にとっては、はした金と言って良い。僕がその場で、即金一括払いで、ダリック金貨100枚渡したら、店主は大喜びさ。そこで、ラオメドンが、腰の剣の柄に手をかけて、「おいこの金はちと訳ありでね、俺たちゃ危ない橋を渡ってきたんだ、厄介ごとに巻き込まれたくなけりゃあ、しばらくバビュロンを離れておいたほうが身のためだぜ、」なんてすごんで、その絨毯商人を脅した。
ラオメドンはああみえて剣術の修業も熱心なやつで、剣豪気取りではったりをかますのが好きなのだ。「要するにその金をもってさっさとバビュロンからいなくなれってことさ。」
「旦那、わかってまさあ、ハグマターナ辺りまでこいつを元手にちと買い出しに行ってきますから、うちの店は貸すなり売るなり好きにしてくれ」と、さっさといなくなっちまった。」
「ずいぶん話が脱線しているように思えるのだがね、ハルパロス。」
「そうかね、それで、後で調べたら、その商人が置いていった絨毯は、どれもこれも二束三文の安物だったのだ。それをあの値段で押しつけて。バビュロンを逃げ出すわけだよ。
僕らに絨毯の良し悪しは見分けられないし、王はどうしても毛玉だらけのボロ絨毯が買いたかったんだからさ。仕方ないよなあ。
王はそれらの絨毯を王宮に運ばせるのかと思ったら、なんと、自分がその店の店主になって、絨毯を売るんだなんて言い出した。僕も一応はお諫めしたよ?でも言い出したら聞かない人じゃないか、あの人は。」
「ああ、それで?」
「ほっとくことにした。彼はもともと小柄な上に、この町の中で遊牧民の衣装に身を包むとまるで目立たない。だれも彼がマケドニア王だと気付く者はいまい。王を良く知るものですら、彼の仮装には気付かないと思うよ。万が一、彼がマケドニア王だと感づかれて、騒ぎになったり、最悪殺害されるようなことがあったとしても、それが彼の運命なら仕方ないじゃないか。そもそも彼は王のくせに王宮が大嫌いなんだから、市場に住みたいというなら住めばいいじゃないか。彼はこのバビュロンのあるじとなったのだから、その市場の一角で一商人となって、この町の実情を知るのも悪い話じゃない。」どうやら私がメーロス島で見た夢は正夢だったようだ。「それでもたった1人じゃぶっそうだから、剣術使いのラオメドンをお供に付けることにした。」

「つまり、王は絨毯売りのおやじになって、毎日商売ものの絨毯の毛並みを繕い、毛玉を取り、その亭主の世話を、ラオメドンが焼いているのか。」なるほど。ラオメドンは語学も達者だし、番頭にも、用心棒にも適任だ。「へえ。王がラオメドンをお供に絨毯商人にね。もしかしてその商人は女房と一緒に商いをしてなかったかい。タイスって名前の。」

「タイス?」
「そう、ちょっときつい目つきで、なんとなく目元がバルシネに似てる。」
「はて。確か、プトレマイオスの愛人がタイスという名だったが。僕が知ってるタイスという名の女はその一人しかいない。」
「プトレマイオスの愛人?」
「ああ。我が軍の兵士らには最初、大勢の妻や愛人が見送りについてきていたのだが、皆ヘッレースポントス海峡を越えずに帰って行った。ところがタイスという女だけが、海峡を越え、トロイに渡り、そのまんまずーっと軍中についてきたんだよ。」
「愛人?妻ではなく?」

「違う。娼婦(ヘタイラ)さ。正式に結婚したって話は聞いたことないね。」

「ヘタイラが?そんなに愛し合ってたのかな?」
「そうかもしれんが、プトレマイオスにしてみれば、いろいろ気が利くあいつのことだ、軍を率いていて、現地で娼婦を雇うにしても、その元締め役が必要だと考えたんじゃないか。だからタイスだけを特別連れてきた。そんなところじゃないか。」
「ふーん。」
「エウメネス、おまえなんでいきなりタイスの話をし始めたんだ。」
「いや。別に深い意味はない。単なる思いつきで、なんとなく、そのタイスっていう女が王と一緒にバザールで絨毯を商っている気がしたんだ。」
「どうして。」
「いや。クレタに船で渡るとき海で溺れてさ。そのとき夢のお告げがあった気がしたんだ。」
「ふうん。いや。実はな、王はテュロスでバルシネと別れたあと、寂しくなったのか、タイスを愛人にしたって、もっぱらの噂なのさ。」
「えっ。プトレマイオスから愛人をとりあげて自分の愛人にしちゃったの。」
「うん。」
「プトレマイオスは怒らなかったのかな。」
「さあ。そりゃ気まずい思いはしたかもしれないね。」
「しかし、あの堅物なプトレマイオスが自分だけ愛人を軍中に連れてたなんて。しかも王がその愛人を横取りしたなんて。どうにもあの2人の関係は良くわかんないな。」
「しかもね、エウメネス、タイスの所在も今良くわかってないらしいんだ。だから君が見た夢は案外あたってるかもしれない。2人は一緒に、このバビュロンのどこかに潜伏しているのかもしれないなあ。」
「へーえ。」
「まあそういうわけで、王は王宮にいないし居場所は誰にも教えてない。王には誰も会えないのさ。」
「パルメニオンやプトレマイオスも?」
「うん。」
「じゃあ誰が王宮を仕切っている。だれがこの王国を裁いているの?」
「だから、マヅダーヤだよ。彼が王宮で人質のペルシャ王女たちの面倒も見ている。彼がいなきゃ何も出来やしないんだよ、僕らは。」
「つまり王の居場所を知っていて、連絡がとれるのは?」
「僕だけさ。」
「しかし、マヅダーヤも王の居場所を知っているんだろう?少なくとも今聞いて知ったはずさ、バザールで絨毯を売っているってことを。バビュロニア太守のマヅダーヤなら、いくらバビュロンが広くたって、官憲の力で、王がどこにいるかくらいすぐに調べられるだろう。」私はマヅダーヤのほうを見て、非難のまなざしで、わざと言ってみる。「マヅダーヤ、あなたが刺客を放って王を暗殺しないという保証は?」

ハルパロスとマヅダーヤは顔を見合わせて笑った。

「マヅダーヤがそんなことをするやつだとしたら、彼の目の前で僕がそんな話をするわけない、そうだろ?今もこの町の治安はマヅダーヤが維持しているんだよ。マヅダーヤに知られているほうが、王は安全だろうね、なあマヅダーヤ。」

「ああ、もちろん王の居場所も、彼の一挙一投足も把握している。大事が起きぬように、しっかり見張らせているよ、僕の手の者たちに。」

やがて酒宴の席が整えられる。

食器も酒器もすべて青銅製。内側は(すず)が塗られていて白く輝き、外側は鈍い茶色。青銅は良く磨けば金色に輝くが、やや日をおけば茶色にくすみ、やがては緑青がふいて光沢の無い青となる。太古の昔から使われてきた金属だ。ここバビュロンでは、今も日常的にこの青銅が使われているのだ。

巨大な青銅製の鼎(かなえ)が持ち込まれた。中には子羊一頭をまるごと煮込んだシチューが入っている。

なんだ、ハルパロスのおしゃべりは、結局、このメインディッシュが煮えるまでの場つなぎだったのか。

マヅダーヤ。たしかに彼はこのバビュロンのあるじにふさわしい。ちょっと年はくってるが、若々しい美男子。女官らも彼を取り巻いて楽しげだ。かたや我が王は、遊牧民のなりで、バザールで絨毯を売ってるだって?心を病んで毛玉取りに夢中になっているだって?