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関白戦記: プロローグ

最後まで口説けよなんて缶チューハイ二本で言ってしまっていいの?
春の新歓コンパで、学部四年の榎本和哉と修士二年の河合晴子は出会い、付き合い始めた。晴子は留学先で突然結婚し、二人は別々の人生を歩んできたが、晴子が栃木県壬生城で安土桃山時代の仏像を発掘したことをきっかけに、二人は久しぶりに再会する。

三人の天下人、信長、秀吉、家康が次々に交代した安土桃山時代。しかしこの三人を眺めていても足利から徳川へ幕府が変遷した事情を窺い知ることはできない。足利将軍義輝から徳川将軍家康まで、武家政権を影で支えていたのは、摂家の近衛前久(さきひさ)信尹(のぶただ)父子であった。つまり、並行して図式すれば、

義輝+謙信 → 義昭+信長 → 秀吉 → 家康


前久→         信尹→

前久は義輝義昭兄弟の従兄弟である。前久は将軍義輝に関東管領上杉謙信を付けて天下を平定させようとしたが、義輝が暗殺されて頓挫した。次に将軍義昭に信長を付けて義輝の遺志を継がせようとしたが、義昭と信長は対立し共倒れとなる。草莽崛起の野心家秀吉が、前久の猶子となって太閤に登り詰めたが、豊臣家に報復するために、近衛家は家康に近づく。本作は、秀吉に関白を奪われ奪い返し、1603年から1867年に至る徳川政権260年間の礎を築いた、近衛信尹の物語である。1592年、左大臣罷免。1594年、薩摩配流。1595年秀次事件。1598年慶長の役。そして1600年関ヶ原の戦いまでを描く。近衛信尹は家康を東照大権現に祭り上げ、島津義弘、小早川秀秋、加藤清正、伊達政宗を徳川と同盟させ、石田三成包囲網を形成して、関白を摂家に取り戻した。また『禁中並公家諸法度』によって皇族と公家の序列を定め、皇別摂家を創始して天皇家と摂家を融合し、摂家による公家社会支配を確立させ、さらに五摂家の頂点に近衛家を君臨させた。これら一見ばらばらにみえる歴史的事象のフィクサーとなったのが近衛信尹であった。

■主な登場人物
– 榎本和哉 神保町の古書店主兼非常勤講師
– 河合晴子 文化庁文化財分科会委員、大学准教授
– 近衛信伊
– 近衛前子(信尹の妹。後陽成天皇女御。後水尾天皇生母。皇別摂家近衛信尋の母)
– 菊亭晴子(一の台)
– 豊臣秀次
– 細川忠興
– 明智玉子 (忠興の妻、明智光秀の娘。細川ガラシャ)
– 鳥居元忠 (伏見城主)
– 島津義弘
– 石田三成
– 千利休


チープカシオのライトを(とも)すと、まだ朝の四時。

寝床を出て、シャワーを浴びながら歯を磨き、舌を()くような洗浄液で口をゆすぐ。

寝られるうちに、もう少し寝ておこうかとスマホを(のぞ)くとこんな早くに着信が一件。すぐ折り返し電話する。

「おはようございます。」

「榎本君?」

「はい。」

「栃木県教育委員会と文化庁が共同で史跡調査を行なっているのだが、河合くんがなにやら面白い物を見つけたらしいんだ。」

せっかちな人だ。いきなり仕事の話から入る。

「河合って、晴子(はるこ)さん?」

「うん。」

彼女の現場で、安土桃山時代の仏像が出土したという。

河合晴子。懐かしくも忌々(いまいま)しい名だ。彼女の笑み。彼女のえくぼ。そして彼女の匂い。封印していた記憶が一挙に(よみがえ)る。学生の頃、俺はずっと彼女に引っかき回された。

要領の悪かったあの頃の自分を思い出すたび、恥ずかしさで首が伸びたり縮んだりする。

晴子とはもう長いこと会ってない。二十年前、二人が出会った頃、晴子は長い髪を三つ編みにして、ぶらぶら腰まで垂らして、蛇使いの魔女かなにかに見えた。

「文化庁の文化財分科会の委員に任命され、栃木に派遣されているのだが、その委員長から連絡があってね。それで昨晩、彼女に確認してみたんだが。」

教授の声が、俺の追憶に割り込む。

「え、なんですって。ああ、河合さんが文化庁の委員になって何か掘り出したと。」

「おい、大丈夫か。ちゃんと聞いてるか。寝起きで寝ぼけてるんじゃないか。」

「目は覚めてます。もうシャワーも浴びましたし。」スマホに充電し忘れてたのに気付きUSBケーブルにつなぎ、ウィンドウズアップデートのお誘いを瞬殺でお断りし、()めたソイラテをレンジでチンして、忘れないうちに朝飲む薬をテーブルに並べる。

「壬生城を知ってるか。」

「ミブジョウ?城ですか?」

「ああ。」

城がらみか。牧之内研では珍しい案件だ。「その、ミブというのは、壬生浪士の壬生ですか?」

「ばかな。ミブロのミブは京都のミブだ。栃木県が調査するわけないだろ。」

乞食同然のナリで上洛した新撰組を都人(みやこびと)はその屯所にちなみ、壬生狼(みぶろ)(さげす)んだ。

「すると栃木のミブですね。」俺はヘッドセットをかぶり、スマホに挿して、パソコンで検索し始める。いちいち教授に質問するよりかこちらのほうが速い。たしかに、栃木に壬生城というものがある。初めて知った。「なるほど。牧之内先生も科研費かなんかで関わってらっしゃる?」

「まあそんなところだ。文化庁も本腰入れて、この際、徹底的に壬生城を調査しよう、畳塚も掘り返そうってことになった。」

「タタミヅカ?」

俺はすかさず検索する。家康の忠臣、鳥居(もと)(ただ)の血染めの畳、これか。関ヶ原の前哨戦で、伏見城を守っていた鳥居元忠が城内で自刃。家康は元忠の血に(まみ)れた畳ごと伏見城の本丸を江戸城に移築した。これが伏見(やぐら)

明治天皇が江戸城に入り、ここを宮城(きゅうじょう)としたときに、幕府瓦解まで二百六十年間、伏見櫓に眠っていた血染めの畳が発見され、鳥居元忠の子孫、壬生城主の鳥居家に下げ渡された。その畳を壬生城内誠忠神社境内に埋めたのが畳塚だというのだ。

伏見櫓は今も、桜田門を見下ろす壕の上に、強固な石垣を築いて、両翼に十六間(約三〇メートル)幅の多聞を広げて建っている。二重橋奥の、皇居で一番目立つところに。

家康は伏見城の戦いを忘れぬため、鳥居元忠の忠義を顕彰するために、この伏見櫓に血染めの畳を敷き、血染めの床板を天井に()いていた。

そんな血なまぐさい過去を担った建物が今も皇居に、昔のまま建っているなんて、ほとんど誰も知らないだろう。かつて江戸城には十九の櫓があったが、今は三つしかない。その中でも伏見櫓は皇居の中でもとりわけ目立つ優美な櫓だが、一般参賀に用いられる長和殿に隣接し、最も警戒を要する場所なので、一般公開はされていない。

「何か出ましたか、その畳塚から。」

「ああ。以前にも、何かあるはずだって言い伝えがあって掘ったけど、そのときは何も出なかった。だから、出やしないと思われてたんだが、もとは古井戸か何かだったらしく、重機を使って深く掘り下げたら、出た。」

「ずいぶん大がかりな発掘調査だったんですね。」

「うん。今回たまたま、ある財団から潤沢な予算がついた。」

「いったい、何が出たんです?」

「畳を焼いたと思われる灰を納めた壺。その灰に木彫りの地蔵菩薩が埋まっていた。」

「壺?仏像?珍品ですか?」

「壺はどうということはない、明治の民生品だろう。菩薩像は無垢材漆仕上げ。河合くんに写真を送ってもらってすぐにピンときた。この平明にして、リアリズムのある表情。この写実性は、近代美術に通じる。東寺大仏師職・民部卿法印康正(こうしょう)の作に違いない。」

俺はソイラテで錠剤を喉に流し込み、ついでにカリッと焼いたデニッシュトーストをかじる。

「コウショウ、有名な仏師ですか?」

「ああ。運慶快慶の流れを汲む慶派の二十一代目。」

「写真を見ただけでわかりますか。」

「私が何年この仕事をしていると思っとるかね、榎本君。一説には、大徳寺にあったという千利休の木像。あれを彫ったのも康正であったという。」

「千利休の代わりに鴨川の河原で(はりつけ)にされたという、あの木像ですか。」

「うむ。で、今回出たその康正作とおぼしき像だが、彫刻で国宝というのは鎌倉時代までと相場が決まっていてな。安土桃山だとちと新しすぎる。だから国宝とはなるまいが、重要文化財指定はされよう。」

「康正の真作なら、ですね。」俺はやっとウィキペディアに康正の記事を見付けた。「ははあ。つまり牧之内先生はその地蔵菩薩が欲しいんですね?実際に手にとって真作かどうか、感触を確かめたいと。もしかして俺に栃木県壬生まで出張して取って来いと?」

「そういうことだ。」

「もってくるだけ?」

「うん、急ぎなんだ。」

なんだ。ただの使いっ走り、運び屋ではないか。

教授から俺がもらう仕事はおよそ三つのタイプに分かれる。

一つは、補助金がらみのポストを紹介してもらうとき。菓子折をもって研究室訪問して、拝み倒す。

一つは、牧之内先生が自分にとって旨味がない依頼を俺に回してくるとき。

もう一つは、とびきりおいしい話だが、牧之内先生だけじゃ手が足りないので、俺に手伝えと言ってくるとき。こんな朝一に向こうから電話がかかるなんて、年に一度あるかないかだ。てっきり、臨時研究員のポストでもくれるのかと期待したのに。

その地蔵菩薩像には、牧之内先生の見立てどおりとすれば、骨董品としての価値はありそうだが、俺がわざわざ運ぶまでもない。というより、重文レベルの品を俺が運んで途中万一のことがあったら責任が取れないではないか。

「そういうことは俺でなくて、ちゃんと保険をかけて、警備保障会社か何かに頼んで運びましょうよ。」

「そうもいかん。河合くんが、それを東大か文化庁か栃木県かどこかにしまい込むと、私は永久にその像を見ることができなくなってしまうかもしれん。彼女にはすでに、誰か人を寄越すと言ってあるから、いますぐ壬生に行って、その足で私の研究室まで持ってきてくれ。」

「今日これから?京都まで?」東京から壬生までおよそ二時間。東京から京都まで三時間。一日で行けない距離じゃない。「出張費や、それなりの調査費は出るんでしょうね?」

「もちろん出すよ。」

「タクシー代は?」

「京都までハイヤーで来やしないだろうな?」

「ええ。貴重品を運ばなきゃなりませんからね。」

「べらぼうな。そんな金はない。」

「冗談です。」いやいや、冗談とは言えない。貴重な文化財の運搬ならそれくらいの金はかける。

「おまえはいつも冗談なのか本気なのか区別がつかん。いいか、領収書はもらっておけ。どういう名目で出せるかわからんが、今回に限って、常識の範囲内で、必然性がある場合ならば、払ってやらんでもない。」

おやおや。よっぽどお急ぎのようだ。タクシー代まで、出してくれるなんて。でも国宝ならともかく、重文くらいで、牧之内先生がなぜそんなに慌てているのか?

「その大きさや重さは?」

「大したことはない。高さ二〇センチくらい。河合くんによれば、中空だそうだから、そんなに重くもあるまい。」

グーグルカレンダーで予定を確認。さほど旨味のある仕事とは思えないが、金はもらえるし、牧之内先生に恩を売ることもできる。

久しぶりに晴子にも会える。

何しろ今日はヒマだ。明日かあさって台風が来そうだが今日はまだ大丈夫。古書の注文は?三件来てた。三十分もあれば片が付く。

「良いですよ。やりましょう。」

俺は宛名を三部プリントアウトし、封筒に貼って注文品を荷造りし、それとは別に、ボストンバッグに梱包材やらビニール袋やらを詰める。こちらは菩薩像を運ぶためのもの。リュックに書きかけの原稿の束や、最近愛用し始めたゲーミングノートPCを滑り込ませて背負い込む。充電用のアダプタやケーブル類、下着の替えも念のため忘れずに。

シャッターは下ろしたまま勝手口から出て表に回り戸締まりを確認。庇を兼ねた店舗の看板がもうボロボロだ。張り替えなきゃならないんだが、金がもったいない。いっそのこと台風で吹き飛ばされてしまえば保険が下りてタダで改修できるんだがなあ。

いつもと同じ夜明けの神保町。夜中に雨が降りアスファルトは黒く湿って、ほこりっぽさが無く快適だ。近所の郵便局の時間外窓口に寄って発送し、流しのタクシーを拾って東武浅草駅に向かう。もちろん運転手から領収書はもらっておく。

ロボコップみたいな顔をした特急スペーシアに乗る。

牧之内先生の話じゃ、晴子はまだ俺が来ることを知らない。晴子にあらかじめ電話しておくか。じゃなきゃメイルでも?

俺と晴子の関係はあまりにも中途半端だ。彼女にどう切り出していいか迷う。

そもそも晴子と会うのはいつ以来だろう。

こないだフェイスブックで彼女をみつけた。プロフ写真は、いつ撮ったか知らないが、どこかの海辺で撮影したのだろうか、白い雲が浮いた青い空を背景に、白いブラウス、太股(ふともも)(あら)わなジーンズの短パン、素足にサンダル、麦わら帽子を(かぶ)って。長い髪はモサモサ、眩しそうに目を細めている。

ときどき学会の集まりか、知人と食事してるところを「なんとかさんと一緒です」って誰かにリンクされて、その写真に「良いね」するくらいだ。彼女が自分で何か書き込んだりコメントしたりすることは、ほとんどない。たまに、どこそこの美術館にへんてこな彫刻が展示してあった、なんて投稿が載るくらい。

彼女の誕生日には、たくさんの人が彼女に「おめでとう」のメッセージを送るが、彼女が返事したのを見たことがない。

「友達」にはなってくれたが、向こうから俺の書き込みにリアクションしたことは一度もない。

最近彼女と直接会ったのは?五年前?いや、十年前か?

だいぶ前に、彼女がアメリカの研究所にいるとき、向こうからきまぐれにチャットしてきたことがあった。俺はああいうネットごしにリアルタイムでやりとりするやつは苦手なんだがしばらく雑談して切った。それくらいしか思い出せない。ほんとうに久しぶりだ。

俺が大学四年生になって、牧之内ゼミに配属されたときのことだ。

晴子はゼミのお局さまで、みなに晴姉さんと呼ばれていた。

京都御苑の芝生で開かれたささやかな新歓コンパ。

彼女は一人、ビニールシートのはじっこに女座りで、紺のタイツをはいた足を横にそろえて投げ出し、お尻をぺたんとつけて、片手をついて、花曇りの空をぼんやり眺めながら、早くも缶チューハイをフライングで飲んでいた。

一人きりで、さみしいのやら、一人が気楽なのやら。

新入りの俺は、一応自分から、仁義を切るべきかと思ったんだ。

「桜に、何か思い出でもあるんですか。」

晴子は眉間に皺を刻んで「誰だこいつ?」みたいな視線を俺に向け、俺が思わずひるむと、晴子は、桜の梢に目を移し、大丈夫よ、姉さんちっとも怖くなんかないよと、わざと明るいトーンの声音で、「うーんとね。昔、牧之内先生に言われたことを思い出していた」と答えた、ように俺には思われた。

「何て言われたんです。」

「私が学部四年のとき。」

「ええ。」

「その年もやっぱりここ御苑で新歓コンパがあって。」

「毎年ここでやるんですか。」

「そうみたい。で、先生はみんなに聞いた、ここの桜は、何桜かわかるか、と。」

「品種ですか。」

「ええ。」

「ソメイヨシノですかね?」

「私もそう答えたわ。そしたら、君は東京人かと訊くから、そうですと答えると、東京人はソメイヨシノしか知らん。ここのサクラは、小学校の校庭や団地の公園やらにやたらと植えられているようなものじゃない。ソメイヨシノは幕末に江戸の染井さんが、在来種を掛け合わせて作った園芸種だ。接ぎ木で殖えるからDNAはみな一緒。ピンク色の花が一斉に咲いて一斉に散る。そんな造花のような、人工的な花をこの由緒ある御苑に植えるのは日本文化に対する冒涜だと思わんかね?

左近の桜に右近の橘。さあ、紫宸殿に植えられていた桜は何桜かな?

誰も答えられないのをみて、先生は悲しい表情をして、話を続ける、ここのサクラは、同じ吉野は吉野でも、大和国吉野山の吉野桜、ヤマザクラだ。神代(かみよ)の昔から日本に自生していた。赤い(つぼ)みと、幼い赤茶けた葉が同時に枝から萌え()でる。つぼみがひらくとともに花びらは白さを増して輝き、縮こまった葉はしだいにピンと葉脈を伸ばし、日差しを浴びて葉緑素を蓄え、新緑に染まる。それがまさに、本居宣長が愛した、朝日に匂う山桜花だよ、ってね。」

春のそよ風が晴子や俺の髪の毛に淡い紅色の花びらをふりかける。

「それで?さすが牧之内先生、気の利いたことおっしゃいますな、って思った?」

「いきなりジャブかましてきたなあって。いかにも京都人らしい、嫌みな人だなって思った。」

「へえ?晴姉さんは東京出身なんですね。京都とどっちが好きです?」

「さあ。たまたま東京に生まれただけで好きなわけじゃない。べつにどっちもどっち。私はノマドよ。」

「ジプシーの娘?」

「はは。まあそんなとこ。」

「ベリーダンスが得意?」

「えっ?何ダンス?」

「ベリーダンス。おなかとか腰とか胸を揺すって踊るおどり。『007』の映画でジプシーの娘がベリーダンス踊ってませんでした。」

「知らないわね。」

ほんとにうまい踊り子は太鼓の伴奏に合わせて胸、おなか、腰の三箇所を別々に揺すれるんだ。まるで精巧なロボットの動きを見るようだ。アレはほんと見事な芸だ。下手くそなやつはフラダンスみたいにただ腰ばかりふってる。

俺はいきなりエロチックな話題を振って失敗したかと思ったが、案外平気そうだったので、話を続けた。

彼女はどちらかと言えば、童顔だった。

「晴姉さんは、もう修士二年だそうですね。」

「ええ、そうよ。いけない?」

「いけなくはないですよ。」

「もうずいぶんな年増よ。」

「でも俺、一浪なんです。ということは、俺たち、たった一歳しか年の差がないってことになりますね。もし晴姉さんが早生まれなら、俺たち同い年かもしれない。」

「おあいにくさま。」晴子は、イタズラっぽく頬をゆるめ、唇を噛んで怒ってみせる。「私は、学部の頃に一年、修士の時に一年、こっちの大学を休学して、留学しているの。」

「えっ。」

「学部三年のあと、ミュンヒェンに。修士一年の後、デュッセルドルフに。」

「ドイツがお好きですか。」

「うん、割と。」

「ということは、今もドイツから戻ってきたばかり?」

「そう。こっちと向こうで、年度が半期ずれてるから、合わせるのが大変なのよね。」

「でも、正規留学なら単位認定されますよね。」

「ううん。うちの大学は交換留学以外、単位を読みかえてくれないのよ。」

「ははあ。つまり大学間学生交流協定に乗っからない留学だった?」

「そう。」

「そりゃずいぶんと自由ですね。」

「いけない?」

「ちっともいけなかないですけど、どうぞご自由に。でもということは、少なくとも、俺の三歳年上ってことになりますね?」

「そういうことに、なるかしら。」

晴子は試すような目付きで俺をにらんだ、ような気がした。

「でも俺、年上の女性が好きなんです。」慌ててつい、大胆なことを口走った。「あ、いや、一般論としてですが。」

「なんだ、口説くつもりなら最後までちゃんと口説きなさい。」

「口説いてもいいですか、晴姉さん。」

「頑張れ。聞いてやろう。酒の肴くらいにはなる。」

晴子はプシっともう一本、チューハイの栓を抜き、唇を尖らせて一すすりして、袖で口元を拭った。

酒豪、いや、酒乱の気があるのか。

それとも単に俺を煽っているのか。

最後まで口説けよなんて缶チューハイ二本で言ってしまっていいの、なんて俵万智の歌みたいなことを考えているうちに、「姉さんもう飲んでんですか。」「早すぎですよ。」「俺も飲んじゃおう。」なんて、いろんなゼミ生が、男も女も、晴子に話しかけてきて、二人きりで話せたのはそれきりになった。彼女はみんなに愛される人なんだなって思って、俺はトイレに立つふりをして、晴子から離れた。

主賓の牧之内先生が買い出し役の学生らを引き連れて登場。

「乾きものは後回しにして、先に寿司から食べてくれ。この陽気じゃ、なまものはすぐに傷んでしまう。」そう指図してまず牧之内先生はスーパー開店直後に買った寿司をビニールシートの真ん中に並べさせて、その周りに学生たちを車座に座らせ、ほぼ私の真向かいあたり、晴子の隣に、助手とともに腰をおろし、晴子をちらりと見て、「もう飲んでるやつもいるようだから乾杯は省略しよう。」そう言って、その教授の言葉を合図に、みながさっそく寿司に箸を延ばす。若者は食欲が旺盛だ。教授が食あたりを心配するまでもなく、ウニやイクラ、トロなど、人気の高い順に、めぼしい寿司はなくなっていった。

「ではそろそろ座興に歌でも詠もうか。」

牧之内教授がそう言うと一瞬、座に緊張が走ったように思えた。

「君は新入生だから知らないと思うが、」と隣の見知らぬ男子学生が俺に説明してくれる。「牧之内先生は和歌がお好きでね。常日頃、大学入試の最終試験に連歌を課そうなどとおっしゃってて。」

「連歌?」

「そう。一次試験に通り、二次試験に残った受験生をこんなふうに輪になって座らせて、順番に句を次いで、詠めなきゃ脱落して、定員が残るまでぐるぐる続けるのさ。」

「嫌な連歌ですね。」

「うん。もちろん冗談で言ってるんだろうけどね。」

「案外本気かも。」

「はは。OBに聞いたけど、昔の飲み会では、詠めなかった者は罰盃を飲まされたそうさ。」

「バッパイ?」

「うん。でも今の時代、飲酒を強要するのはご法度だからね。」

「昔ってどのくらい前の。」

「さあ。昭和じゃない?」

「それで詠めないとどうなるんです。」

「ほんとに詠めなきゃ、なにか一発芸でもやってごまかすしかないが。何、連歌なんてそんな難しいもんじゃないよ。特に下の句は、それにつけても酒のうまさよ、とか、酒に酔ふこそたのしかりけれ、とか、適当に定形の句をつけりゃいい。」

「では上の句は?」

「次の人が下の句をつけやすいような句を詠んでやるのは難しかろうが、そんな余裕がなきゃ、適当に五七五を詠むだけさ。」

「はあ。そんなもんですかね。」

「さくら咲くのどけき園につどひ来て。」立ち上がってそう発句を詠んだのは教授の隣に座っていた少し年配の、髪が薄くなりかけた助手だった。そうするとすかさず隣が「寿司を食ふこそたのしかりけれ。」とつないだので、みなくすくすと笑った。そのまた隣の学生が「みわたせば寿司はあらかた食べ尽くし、」と詠むとその隣が「ただカンピョウとガリぞ残れる。」と詠んだ。酒の席なのであまりかしこまった歌は詠まなくても良いらしい。

そんな具合に次々学生らが句をつないでいって、俺の隣、さっき連歌の説明をしてくれた先輩が上の句を詠んだ。「散り敷ける花にまみれし寿司を食べ。」

ははあなるほど。やさしい先輩だ。俺が無難に「酒に酔ふこそたのしかりけれ」とつづければ良いように、上の句を用意してくれたというわけだ。しかし俺はちょっとひねって「花の浮かべるさかづきを干せ、」と返した。そしたらささやかな喝采がおこり、俺はちょっとだけ良い気分になった。

挙句は晴子の番だった。教授もそういうつもりで晴子の隣に座ったらしかった。自嘲か、はたまた研究室ですっかりお局様になってしまった晴子をからかうかのように、教授が「こころにもあらで浮世にながらへて、」と上の句を詠むと、晴子はそしらぬ顔で「いまだ見果てぬ若き日の夢、」と(しめ)た。

日が暮れて風も寒くなると、桜の花びらだらけになったビニールシートをたたんで、プラゴミや、空き缶をゴミ袋に詰めて、俺たちは撤収する。

「二次会は新京極に予約してある。」幹事役らしい先輩がそんなふうに、俺たちを誘導し、御苑を寺町御門から出て、寺町通りを南の方へぞろぞろ歩く。

下御霊(しもごりょう)神社を過ぎると古書店や京漬屋などが並ぶ。それらの店先をなにげなく物色しながら、でも俺はついつい、晴子の背中で揺れる三つ編みが気になってしまう。

「無口ね、さっきと違って。」俺の視線を感じたのか、彼女から話しかけてきた。「ねえ、君の名は?」

「え、俺ですか。榎本和哉です。」

「ふうん。カズヤくんっていうのか。あなた、全然なまりがないけど、どこから来たの?関西、それとも関東?」

「いや、長野です。」

「長野のどこ?」

長野県の地理について県外の人に説明するのはとても難しい。

「一応、長野市です。」

「善光寺の近く?それとも川中島の辺り?」

「まあだいたいその辺ですけど、すごく田舎です。」説明するのが面倒なので適当に言った。

「なぜ牧之内研を選んだの?」

「江戸時代の人情本が好きで。為永春水とか。」

「あー。為永春水ね。知ってる知ってる。私だってそのくらい。たしか『梅色春暦』とか。」

「惜しい。『春色梅暦』ですね。」

「だいたい合ってるじゃん。」

「ええ。だいたいで問題ないです。後は、成島柳北とか。」

「ナルシマリュウホク?」

「ちょっと難しかったかな。もと幕臣で、維新後、新聞社の主筆になった。」

「あー。その話なんとなく覚えがあるわ。あ、わかった。『濹東綺譚』でしょ。」

「よくわかりましたね。」

「へへん。私だって伊達に年はくってないわよ。」

「牧之内先生曰く、永井荷風は、成島柳北の文体を真似て、『断腸亭日乗』を記したのだ。歌風は常々、雑司ヶ谷に柳北先生の墓参りをした。『濹東綺譚』には、本文には出てこないけど、後書きの「作後贅言」に成島柳北から「濹」の字を習ったって書いてある。」

「なんだ。やっぱり牧之内先生の受け売りか。」

「そうです。

先生曰く、永井荷風は成島柳北を敬愛していた。「柳北」の「柳」とは「柳営」、則ち江戸城のこと、「柳北」とはその北、具体的には神田川に架かる柳橋辺りをいうのだ。柳橋にはかつて、京都の鴨川と同じように、料亭があり、花街があった。しかるに東京オリンピックのときに、川や濠の上に高速道路を通し、むやみやたらとコンクリートの堤防を築いて町と川を遮断してしまった。おかげで江戸から続いた花柳界は死んだ。池波正太郎も常々ぼやいていたとね。」

「あー。思い出した。先生がいつも口癖のように言ってるアレね。」

「牧之内先生の講義を受けて、俺は初めてそういう世界を知りました。」牧之内研には、江戸時代に出版された貴重本が集められた図書室があって、俺は去年から入り浸っていたが、晴子は、ちょうど留学していなかったわけだ。

「ふうん。で、卒論はどうするの?江戸文芸の何かについて書く?」

俺は一瞬ためらった。「実は、藤原定家について書こうと思って。」

「えっ。ずいぶん飛躍するわね。」

「うーん。どこから説明しようか。」俺たちは市役所の角に出る。先頭はもう、御池通を渡っている。「高校生の頃まで俺は、普通のミーハーな文学少年で、この大学の文学部に憧れて、現役で受験に失敗したが、それでも諦めきれずに一浪でなんとか合格した。夏目漱石とか正岡子規とか永井荷風とか中島敦なんかが好きなお子様だった。

でも、一年生の時に牧之内先生の「近世文芸概論」を受けてからだんだん考えが変わってきた。スタンダールとか、ゾラとか、モーパッサンなんて、いくら読んでも、永遠に永井荷風は理解できない。荷風を理解したいなら、成島柳北をはじめとして、為永春水、山東京伝、そして滝沢馬琴を読めと。『吾輩は猫』なんかは、十九世紀にイギリスで流行った風刺小説の二番煎じに過ぎん。君たちは漱石がほんとに書きたくてあんな新聞の連載小説を書いたと思っているのかね?原稿料のため、作家として身を立てるため仕方なく世間に合わせて書いたかもしれないだろ?漱石なんてのは、新聞社の都合でひどく誤解されているんだ。漱石の思想を理解したいなら荻生徂徠や太宰春台を読め、漱石が書いた小説ではなく、彼が作った漢詩を読め。そのほうがずっとわかりやすい、と。

青二才の俺には新鮮だった。そんなふうに、牧之内先生に誘導されて、だんだんに、戦後民主主義教育や、戦前の軍国主義教育や、明治の欧米化に疑問を感じて、そういったものの影響を受ける前の、今も日本文芸の芯に残ってる「近世」ってものに興味を持ち始めた。」

「その辺りが先生のご専門だもんね。」

「でもたぶん、先生の影響だけでなく、俺はもともとそういうのが好きな人間だったんだと思うんだ。

近世は忘れられ、軽視され、否定され、捏造されている。近世は危機にさらされてるって俺には思われてきた。

正岡子規も、でたらめな短歌ばかり詠んでるかと思ったら、俺くらいの歳には、近世的な『七草集』という歌物語みたいなものまで書いている。近代文学における江戸文芸の影響ってものを卒業論文のテーマにしようと思って、和歌もせめて江戸時代の文人くらいには、自分で詠めるようになろうと思って、調べれば調べるほどに、いちいち、必ず顔を出すやつがいる。それが藤原定家だった。」

「彼はたしかに、中世の完成者にして同時に近世の父でもあるわね。」

「そりゃちょいと褒めすぎかもしれないがね。定家がくしゃみするよ。

そう。俺はただ、江戸時代や明治の文芸を調べたかっただけだった。別に新古今とか百人一首なんてどうでもよかったんだ。

彼との出会いは妙なものだった。気がつくとやつはいつも俺の視界の片隅にいた。そいつを無視しようとすればするほど、そいつは道化師のように、俺の目の前に飛び出してくる。からかわれているような気になって仕方ない。やい、なんで君はいつも俺の前に現れるんだ、って問い詰めてやりたい気持ちになる。たぶんやつは、百年後、千年後に、自分と同じようなやつが自分を見付けてくれるように、わざとあんなへんてこなしかけを残したんだ。俺はまんまと引っかかった。いつの間にか俺は、藤原定家の真ん前に引っ張り出され、どっかり座り込まなきゃならなくなった。

どうもこいつは、一度ちゃんと研究しなきゃいけない気がしたんだ。まずこいつを最初に片付けておかないと、先へ進めない気がして。だから卒論は定家にしようと思って、ゼミ配属のとき、牧之内先生に相談した。」

「そしたら。」

「意外そうな顔をして、「おまえが定家を語るには十年早い、卒業まで後一年、やれるのか、院に残る気があるなら別だが。」って言われた。「じゃ、辞めます。」って言ったら、なんだか失望されちゃって、「たかが学部の卒論だ、やりたいようにやってみたらいいじゃないか、」って逆に説得されてさ。「はあ。じゃ、やってみます。」ってことになり。」

「それって見込まれてんじゃん?君に残って欲しいんじゃないの、院に。」

「どうだろ。俺、研究者になるように見えます?」本能寺山門前を過ぎて寺町商店街アーケードへ。「晴姉さんの専門は?」

「私は仏教美術。」

「おや、あなたもずいぶん渋い趣味ですね。もしかしてお寺の娘さん?」

「そういうわけじゃない。」

「お母さんの実家が京都とか奈良?」

「全然違うってば。うちは両親とも江戸っ子。未だに京都弁にはなじめない。男子はともかく、女子のあの間延びした変な抑揚のしゃべり方。いつもイラってくる。」

「ふうん。でも何度も留学させてくれるって、晴姉さんは絶対、良家の子女に違いない。きっと帰国子女でしょ。ドイツ勤務の外交官か、大手商社のバイヤー。」

「違うわよ。父は通信会社の研究所勤務。母は高校教師だけど。

最初はドイツ文学をやってた。牧之内研とは全然畑違いなこと。」

「ゲーテとか?」

「ううん。アルプスの少女ハイジとか。」

「ははは。確かにあれもドイツ文学だな。」

「でも留学してみると誰もヨハンナ・シュピリなんか読まない。すんごい馬鹿にされた。あんな児童文学なんかってね。

で、あれこれ乱読しているうちに美学もやり始めたんだけど。

そう。あなたが定家と出会ったのと同じかもしれない。カントがやたらと鼻に付き始めた。

カントは、アリストテレスの形而上学を徹底批判した。コペルニクス的展開とかね。でもカントこそは、ドイツロマン主義というおとぎ話、西洋の桎梏を作り出した張本人。西洋人はカントのせいで西洋史観という呪縛にがんじがらめになった。なーんて論文を書いたの、得意げにね。だって、カントがアリストテレスをクリティークするんなら、私がカントをクリティークしてもいいでしょ。」

「当然だ、純粋西洋批判、だな。」

「うん。「カントこそは西洋の自家中毒だ、今こそ西洋はコペルニクス的展開をすべきだ、天動説が地動説に敗れたように、真実は常に単純だ、」なんてぶちあげた。そしたら、ロッテンマイヤーさんみたいな指導教官が、すっごい機嫌悪くして、「フロイライン・ハルコ、君の論文には、ドイッチャー・ガイスト(ドイツの魂)がない。君はヤパーナリンだ。もっとヤパーニッシュな研究をしたら良いんじゃない?ここはドイッチュだ。ドイッチュ・イスト・ダイネ・ゼーレ・ニヒト(ドイツは君の精神ではない)。君はここに来るべきじゃなかった、」みたいな嫌みを言われた。腹が立った。それ以来、西洋美学に興味が失せて、東洋美学に興味が移って、日本に帰ってきて牧之内研に所属して、先生にいろんな影響を受けて、今は仏像をメインで仏教芸術をやってる。」

「ずいぶん遠回りしたね。ぐるっと世界一周して京都に還ってきた。」

「そんな感じ。」

土産物屋と観光客だらけの新京極を通り抜ける。

「ふうん。もしかして、博士課程にも進学する?」

「そのつもり。」

「ずいぶん勉強が好きなんだね。」

「才色兼備」という言葉は、きっと彼女のためにあるのだ。何度も海外留学した彼女。博士の学位も取って、きっと将来、大学教授になるんだろう。高嶺の花、俺なんかが、手に触れてはいけない花に思えた。

みんなはぞろぞろと、二階のピザ屋へ、階段を上っていく。

「ここかー。」

「いやなの?」

「ここでいつもランチの食べ放題食べてるからなあ。」

「私も、もうおなかいっぱい。」

「俺も。」

「ばっくれちゃう?」彼女はいたずらっぽく、ディズニー映画みたいにサムズアップした。

「俺たち二人で?」

「そうよ、いけない?」

「どこに行きます?」

「ねえ、欲しいぬいぐるみがあるの。取ってくれない?」

えっ。

まさか、ゲーセン?しかもUFOキャッチャー?

まさかこれってデートのお誘い?しかも初デート?

俺、クレーンゲームもUFOキャッチャーもやったことないし、たぶんすごい下手だ。でもこんなチャンスない。向こうから誘ってるんだし。

「ねっ。良いでしょ。」彼女は、三つ編みにした長い髪をぷらぷらとゆすって俺におねだりした。ように見えた。

「良いよ。まかしといて。俺、クレーン得意なんだ。」嘘でもこのノリに乗らなきゃ。

俺たちは、でっかいプロペラ機がケツから墜落したみたいなオブジェがあるゲーセンに入った。

「こいつかー。」彼女がほしいと言うのは、かわいらしいというよりも小憎らしい面構えのサメのぬいぐるみだった。

一回百円。五百円だと六回。

俺はまったく自信がなかった。尻のポケットからばら銭をつかみ、五百円硬貨を一枚取り出して、投入口に入れた。

アームでガッと挟む。よし、とれた!

しかし、ツルッとすべって落ちてしまう。

落とすたびにどんどん取りにくいところに落ちてしまう。

晴子は、攻略法をアドバイスするでもなく、横でニコニコしながら見ている。

俺は、また五百円玉を入れる。

でも全然取れない。しまいには、他の景品が崩れてきて埋もれてしまった。

「ねえ、ちょっと。」晴子が店員に声をかける。「この人もう千円つぎ込んでるんだけど、全然取れないの。」

店員はにこりとほほえんで、「あー。このサメですか。」そう言って、サメをすごく取りやすい位置に移動してくれた。

俺はついにサメをゲットした。

「ほら、とれたよ。」

「ありがと、カズヤくん。大切にするよ。」

たかがUFOキャッチャーで大盛り上がりしたのだが、この後どうしていいか見当も付かない。俺は彼女に、尋ねるようなまなざしを向ける。彼女は怒ったようにプイと目をそらす。ちょっとなれなれしすぎ?

思えば今日が俺たちは初対面。あまりじろじろ彼女を見ちゃあ失礼だし、彼女は良家の子女だから、門限か何かあって、もう気もそぞろなのかもしれない。

まあ、明日があるさ。今日は気持ち良く、好印象を残して、このまま別れよう。

「そろそろ、帰ります?晴姉さん。それともコーヒーでも飲んでく?」

「いいよ。お茶してこ。」

俺たちはゲーセンを出た。

彼女は口元をほころばせ、白い八重歯を見せた。「ねえ、カズヤくん。」

「なんですか、晴姉さん。」

「私も年下の男の子は好きよ。」

「一般論としてですか。」

「それは、君次第かな?」

彼女は上目使いに俺を見た。

俺は引き寄せられるように、彼女の両肩に手をおいて、彼女も俺も目を閉じて、キスをした。

でっかいプロペラ機のオブジェの下で。

彼女の頭がコツンと俺の鼻に当たり、俺はそのまま彼女の細く柔らかい栗色の髪に顔を埋めた。

俺たちの周りで世界が回り始めた。チープな電子音に合わせて、ガチャポンも、プリクラも、マツモトキヨシも、みんなメリーゴーラウンドのようにくるくる回転した。

俺は、周りの雰囲気に流され、就職支援課のかけ声にせき立てられ、三年の終わりにリクルートスーツを買って、首からネクタイを吊して就活を始めた、なんとなく、なんの実感もなく。四年になったら会社訪問も始めなきゃいけないなって、焦ってるつもりで、でも、これが俺の人生なんだって実感がまるでなかった。なんとか商事とかなんとか物産とかなんとか産業とかなんとか住販とか。そんな会社、自分の人生と何の関係も無い気がした。

晴子と会ったせいかどうかは知らない。でも、大学院に進学しようって気持ちが湧いてきた。修士二年間。晴姉さんと、もう少し長くいたって良いんじゃない。長い人生、少しくらい寄り道したって良いじゃないかって。

俺が院試を受けるって言ったら、晴子は「やっぱり君はそうくるかと思ってたんだ」って、にこにこして、俺に過去問を見せてくれたり、傾向と対策について、いろいろと教えてくれた。

「しばらく一緒にいられるね、和哉。」

「うん、少なくとも、あと三年くらいは。」

俺は晴子と、もっとずっと一緒にいたいと思った。そう、死が二人を分かつまで。

俺が院試に合格し、修士進学が決まった頃、晴子は急に、どうしてもヒンドゥー教の研究がしたいと言い出した。インドに行くのかというと、アムステルダムにヒンドゥー教のメッカがある、博士課程はオランダに留学するとか、わけのわからないことを言い出して、晴子は一度言い出すと人の言うことは聞かないから、俺たちはすっごい遠距離恋愛になった。

ところが晴子は、ある日突然、ソルボンヌ大学で開かれた国際会議で出会ったポーランド人に求婚され、ツタの絡まるチャペルで結婚したとメイルで告げた。俺は失恋した。

現在彼女の名は、正確には、河合コモロフスカ晴子、とかそんな名であるはずだ。

榎本晴子という名になってくれたらどんなにうれしいかって思っていた。いや、逆に俺が、河合和哉という名になってもかまわないとさえ思っていたのに。

いつも、すごく良い雰囲気に盛り上がったけど、どうやら本気だったのは俺だけで、すっかり付き合っているつもりでいたが、彼女にとって俺は単なる遊び相手、キープ男の一人だったのかもしれない。

彼女は向こうで学位を取り、オランダ王立博物館の学芸員になり、日本に帰って東大の准教授に就任。京都を離れて勝手に東大に行ってしまったので、牧之内先生もご立腹だが、ゼミの卒業生のうちでは出世頭なので怒るわけにもいかない。俺はといえば、牧之内研の居心地良さについずるずると博士課程まで残り、めでたく単位取得満期退学。その後、趣味と研究を兼ねた古書漁りを続けながら、任期付きの研究職、つまりポスドクなどを転々として今は古本屋の店主兼非常勤講師。ははは。まったく、情けない話だ。いったい人生、どこをどう道を誤れば、これほどの差がついてしまうのか。

また晴子に会いたい。たとえもう、四十過ぎの人妻だろうと。