「ついでに言っておこうか、エウメネス。良い機会だ。おまえはなぜ自分が俺の書記官として従軍することになったか、知っているか?」
「いえ。知りません。何か理由があったのですか。私がミエザであなたの学友だったこと以外に?」
「アリストテレスは何も言ってはくれなかったのだろう。」
「師と関係があるのですか。」
「おまえもまた、人質として差し出されたのだよ。」
「人質?なぜ。誰が何のために私を人質にしなくてはならないのですか。」
「おまえを差し出したのは我らの師。アリストテレスさ。」
「えっ?」
「アリストテレスもまた、アタルネウスの領主ヘルミアスがマケドニアに送り込んできた人質だった。おまえの学友たち、バルシネ、ヘファイスティオン、ハルパロス、ネアルコス。みんな俺の友であると同時に人質だった。俺の父が人質としてテーバイに送られ、テーバイ人の友となったように。あるいはバルシネがペルシャに人質として送られたように。覇権国家が周囲の保護国から人質を取る。それが現実というものだ、エウメネスよ。
俺もまたアリストテレスに息子を人質として送るよう要求した。アリストテレスは言った、「我が子ニコマコスには領主は継がせません、」と。では誰をおまえの跡継ぎにするのか、と俺は問うた。そうしたら師は「私の弟子の中では、エウメネスならば、なんとかあなたのお役に立てましょう、」と言ったのだ。だから俺は、おまえを従軍させなくてはならなくなった。俺の手元に、人質としておいておくために。」
「それが理由ですか。リュケイオンで学んでいた学生の私が、あなたにいきなり呼び出されたのは。」
「うん。」
「知らなかった。」
「だが知ったところでいまさらどうということもあるまい。」
「ええ。まったくその通りだと思います。知ろうと知るまいと私の運命は最初から決まっていたのですね。それに私の父母は貧乏でしたから、あなたに直接呼ばれずとも私は戦費を賄えぬカルディア市民として徴発されていたでしょう。」
師はずっと前から私を自分の後継者とみなしてくれていたのか。まさか。そうではあるまい。当時、彼の息子ニコマコスと私と、どれほどの違いがあっただろうか。うぬぼれても仕方ない。彼は自分の息子を差し出すのが惜しくて私を代わりに推薦した。ただ単にそれだけのことだったはずだ。しかし私がまがりなりにも、十年に渡る遠征の中で、ハルパロスの代役をこなし、ときには数名、あるいは数十名の部下を率いて指揮官の真似事までした。その実績を見て、師は私に、領国を経営する才能があるのではないかと判断し、アルトニスと私を結婚させても良いと判断したのではなかろうか。今や私と師の息子ニコマコスの間には大きな隔たりがある。マケドニア軍の士官となった私と、十年間ずっとギリシャで学問だけをやってきた彼とは。しかしそれはやはり、後付けの理由のように思える。
アタルネウスはアルタバゾスの一族が代々世襲したヘッレースポントス・フリュギアの一部であった。そこを借金のかたにヘルミアスが取得し、師に相続した。たまたま私とアルトニスの間にはちょっとした事件があった。そこで、師の跡取りである私が、アルタバゾスの娘であるアルトニスと結婚することによって、領地も再び一つにまとめてしまおう。おそらくそういう合意が、アルタバゾスと師の間でなされたのだろう。
アルタバゾスはただの海賊、傭兵隊長ではない。彼の一家は一つの独立した王朝とも言える。私は彼の娘婿として、彼の支配下にある地域の領主となることになる。いったいどれほどの仕事が私に降りかかってくるか。まったく予想もできないし、今からそんな心配をしてもしょうがない気がする。私の故郷カルディアはヘッレースポントス・フリュギアの一部だ。私が直接そこを統治する役目を任されるかもしれない。父母はきっと喜んでくれるだろう。息子が手柄を立て王侯の仲間入りをし、故郷に錦を飾ってくれて。我が家の暮らしも楽になるだろう。しかし同時に、一国を治める領主となるってことは、アルトニスも言っていたように、とても厄介な仕事だ。しかもその国の場所が場所だ。ヘッレースポントス海峡はヨーロッパとアジアの緩衝地帯。マケドニア本国のアンティパトロスや、アナトリア太守のアンティゴノスもちょっかいを出してくる。油断するとその隙にアテナイもスパルタも、その他さまざまな国々が干渉してくるのだ。私にはもうのんびりと学問する時間などないのだろう。
私はむろん、師の後継者指名を断ることもできるだろう。しかしその場合、私とアルトニスの結婚は破談となるに違いない。
私にとってそれはあり得ないことだ。
師がミエザからリュケイオンに移ったのも、学問のためばかりではなかったのだ。師もまた、アテナイに送り込まれたマケドニアの間諜だったのだ。
ああなんということだ。少し考えれば容易にわかることなのに、今まで気付かずにいた。
「なるほど私は師がマケドニアに差し出した人質であった。ですが、私はあなたの命令で、あなたを離れてバルシネを伴ってテュロスから出航しました。」
「ああ。あの頃にはもうおまえを人質にしておかなきゃならない意味もなくなっていたからな。ハルパロスの助言もあった。エウメネスを自分の後継者にしたいと。」
そうか。ハルパロスが師やアルタバゾスに根回しした可能性もある。やりかねない人だ。
話はそこで途切れた。私は「ではそろそろおいとまいたします。」と王の前を下がろうとしてふと思い出した。「ところで、あなたはアパマを誰と結婚させるおつもりですか。」
「ああそう。それだよ。俺はアパマを最初、クラテロスにやるつもりでいた。彼女も一応ハカーマン家の係累であり、彼女の父スピタメネーは勇敢な戦士であったから、ちょうど良いと思っていた。だが、今は特にあてもない。」
「特に誰という、何のあてもない?」
「ああ。」
「おそれながら私からそのことについて申し上げてもよろしいでしょうか。」
「なんだ。遠慮するな。」
「では申し上げます。セレウコスがアパマをたいへん気に入っていて、是非結婚したいと思っているようです。アパマもまんざらでもないようすです。」
「セレウコス?プトレマイオスの従弟の?彼とアパマを?だがセレウコスは従軍して間もない。まだ子供だろう。二十歳にもなっておらぬはずだ。今回あわてて結婚するまでもない。もう少しじっくり時間をかけて結婚相手を探せばよさそうなものだ。かたやアパマは、そろそろ適齢を過ぎそうだが。」
「アパマと結婚できればセレウコスはきっと恩に着て、一生あなたの事業に奉仕することでしょう。」
「思いもつかなかったよ、だが、セレウコスは、アパマと結婚できれば俺の忠実な家臣になる、おまえはそう言いたいのか。」
「はい。彼ならできうる限りのことはすると思います。」
「ふうん。まあ考えておこう。」
王は即答しなかった。よくあることだ。でもなんとなく、王は私の提案を受け入れてくれたように思える。
