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召命

私たちが講堂に入ると、大勢の学生たちが集まってきていた。こんな遅い時間に、こんなところにみんな集まっていたとは。

師はいつものように講堂の中央に据えられている長椅子に腰を下ろしている。師も今来たばかりのようだ。

「どうした、そうぞうしい。」
「テーバイがやられました。」
「誰に?スパルタか。」
「いいえ。」
「ではペルシャか。」
「いいえ。マケドニアに。」

師は深いため息をついた。

「アンティパトロスだな。摂政の分際で、アンティパトロスがそんなことをしでかしたのか?」
「いえいえ。マケドニア王がイリュリアから帰ってきたのです。」

王はやはり生きていたのだ。

「それで?」
「三日前、テーバイの国境に姿を見せ、町を囲み、たった一夜でテーバイを陥落させたそうです。それが昨日のことであったと。」
「誰からそんなことを聞いた?」
「アテナイ中がその噂で持ちきりです。マケドニア王がテーバイを滅ぼしたと。」
「アテナイ人の噂などあてになるか!」
「いえ、確かです。私は逃れてきたテーバイの武将らに直接聞きました。」
「アレクサンドロスがか。あいつが、そんな恩師のつら汚しのような真似を。」

王は王太子時代に師の教え子だったのだ。

アルトニスが師や学生らの夕食を載せたワゴンを講堂に運んできた。私たちはそれをテーブルに並べる。いつものサラダ。ライ麦パン。レンズ豆とタマネギのスープ。そして葡萄酒。食事をしている間も、皆は夢中で議論していた。情報も少しずつ集まりつつあった。

テーバイ人たちも、師と同じく、マケドニア王はすでに死んだと思っていた。アテナイの民会にも少なからぬ反マケドニア派がいた。テーバイに応じて、アテナイも、マケドニアに叛旗を翻そうとしていた矢先であった。

「テーバイの敗将らとともに、我がアテナイの首謀者もすでにペルシャに亡命した。そして彼らを追ってもうじきマケドニア兵もアテナイに到着するだろう。」
「つまり。」
「アテナイもマケドニア軍に囲まれるのさ。テーバイのように。」
「では、急いで逃げねば。」
「逃げる?でもどこへ?私たちリュケイオンの学生も?」

アテナイはテーバイの南隣のポリスだ。騎兵ならば二、三時間で到達しよう。

「今のアテナイに戦は無理だ、開城せねばなるまい。」
「反マケドニアの民会議員はすでにスパルタに亡命したそうだ。」

王が外征で留守にしている間に、マケドニアによって追放されていた反マケドニア勢力が政局を転覆させようとしてテーバイに戻り、市民たちを煽った。市民たちは扇動家の言葉を自分らの都合の良いように解釈し、信じた。「専政君主アレクサンドロスはすでに死んだ。我らは解放された」と。ところがマケドニア王は戻ってきた。粛清を恐れた反マケドニア派らは妥協を拒んだ。そのためにマケドニア軍が城壁を突破し、になだれ込み、市民を虐殺したのだという。

夜が更けても、学生たちの多くは講堂を離れなかった。アテナイがテーバイのとばっちりを受け、市内で戦闘が始まることは十分にあり得ることだ。家に戻るよりは、アテナイ郊外のここリュケイオンにいて、市内から新たな情報がもたらされるのを待つほうが安全だ、と思われたのである。私はもともとリュケイオンに住み込みで学んでいた。ほかへ帰るところとてない。

突如一群の武装した兵士らがリュケイオンに押し入ってきた。いよいよここにも捜索の手が及んだのだ。

アテナイ兵ではない。私には見覚えがあった。とさかのような、ブラシのような派手な紅色の羽根飾りをかぶったその軍装はマケドニア兵のものである。

「エウメネスはいるか?カルディアのエウメネス。」

兵士の一人が叫んだ。

皆が私を見た。私は答えた。「ここにいます。」
「王がおまえをお呼びである。ご同行願う。」

皆が哀れみの目で私を見た。王が私を反マケドニア勢力の一味と見なして、連行するのだ、皆そう思っているのだ。

「私は反マケドニアではない。」

その言葉が口から出かけたが、やめておいた。兵士に言ってもムダだし、私にはやましいところなどない。王だって、私の潔白を信じていることだろう。

「王は私に、どんなご用件であろうか。」
「詳しくは知らぬ。ただお連れしろと。」

「私に王から何か伝言のようなものはなかっただろうか。」
師の質問に兵は短く答えた。「無い、」と。師はなお言葉を続けた。「テーバイはどうなった。」

兵はぎろりと師をにらんだ。「そなた、それを聞いてどうする。」
「テーバイには、我が友も、マケドニアの友人らも多くいる。彼らをどうする気か。」

兵士らも、師がどのような人かは承知しているようだ。粛然として告げた。

「友好市民らの無事は王が保証される。」
「それ以外の者は。」
「敵性市民は殺された。生きておれば奴隷に売られよう。テーバイは滅びたのだ。」

彼らは今まさにそれらの市民らをでって来たのだ。

テーバイが滅んだ。あの伝統あるギリシャのポリスが。

兵は私に目配せした。もう行かねばならぬようだ。

「師よ。忘れるところでした。これを読んでおいていただけますか。」

私は師に、さっきからずっと手にしていた論文を渡して、改めてお辞儀をすると、師は無言でその論文を受け取り、表紙に目を落とした。

「エウメネス。」
「はい。」
「私もかつてマケドニア王に呼ばれた。そして今度はおまえが。」

私は師が何を言おうとしているのかわからず、言葉がでなかった。

「おまえは私の運命をなぞることになるかもしれん。おまえは王者の道を行くだろうか。それとも覇道に落ちるか。それとも、学究の道にとどまるか。楽しみだな。」

師の瞳がっ子のように光った。私に初めてみせる表情だ。

兵士らとともに講堂を出るとアルトニスがいた。

私のような者のために泣いてくれるのか、アルトニス。

すれ違い際、甘い髪の匂いがする。

抱いてやらねばなるまい。

私は何か義務感のようなものにかられて、彼女を抱きしめた。彼女は無抵抗だった。

思ったよりも細い腰だった。小さく柔らかい頬だった。

思えば初めて彼女をこの腕の中に抱いたのだった。二人とも無言だった。

兵に催促され、私はリュケイオンを出てアテナイ城市のディオカレス門をくぐる。アテナイは既にマケドニアに城門を開いた後だった。沿道にも城内にも多くのマケドニア兵が詰めている。市民らは不安げに、おのおのの家の中で息を潜めているらしい。

私は市の中心、アゴラへ連れていかれ、ここで私は他の多くのアテナイ人らとともに護送用の馬車に乗せられた。彼らはおそらく政治犯なのだろう。中にはやを付けられた者もいる。反マケドニア派のアテナイ人はすでに逃亡したはずだが、逃げ遅れたのだろうか。あるいは隠れているのを見つけられたのだろうか。それとも身内に裏切られた?ともかくも私は、彼らのように過酷な扱いは受けていない。でも、しっかり監視されている。隙をみてこの幌馬車から飛び降りて逃げるか。いや、やめておこう。逃げたところで行くあてもないし、追っ手にすぐに捕まるに決まってる。

車はアテナイの仰々しい表玄関、を出て、エレウシス街道を西へ、テーバイへの道をたどるようだ。つまりこの車の中で半日ばかりは揺られることになる。じたばたしても仕方ない。私は馬車の上に寝床代わりに渡された板に寝転がり、揺られるままに眠ろうとした。しかしまったく眠れない。まぶたの裏にはもはや、ニュンフェが舞う姿も浮かんではこない。

私は王の好意により学問を続けることを許されたのだ。だから私はアテナイにいた。王は即位と同時に師がアテナイに移ることをお許しになり、私も師に従ってアテナイへきたのである。

私はまだリュケイオンで学ばねばならぬことがある。王ご自身が私にお許しになった遊学期間はまだ二年しか経っていない。王は私に何か特別な用があって、私と面会して、すぐに私を帰してくれるかもしれない。王が私を必要としているとしても、私が十分に学問を終えてからで間に合うはずではないか。

きっとすぐ私はまた師のもとへ戻れる。そしてまた、アルトニスの柔らかい手を握ってやることができるはずだ。