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西京極家の秘仏

西京(にしきょう)(ごく)(きよ)(まさ)。そんなマンガみたいな名前の男が俺のクライアントだ。

京都日帰り出張鑑定、と言えばずいぶん大層な仕事のように聞こえるが、ふだんの俺はしがない古本屋の店主、兼、大学の非常勤講師だ。商売がら古書の買い付けや鑑定は日常茶飯事。旧家から本が出たと聞けばせっせと日本国中出張する。

これは俺の元指導教官の牧之内教授に来た依頼だった。先生が俺に話を回してきたのは、要するに、今回の案件にうまみがないってことが最初からわかっていたからだろう。俺は引き受ける前に、電話で西京極氏に依頼内容を確認した。

「出張費だけで五万円になりますが?」

「出張費の内訳は?」

「……東京と京都の往復運賃、新幹線の特急料金、飲食費、用品費、その他諸経費です。」

「では五万円でお願いします。」

「えっ。いや、出張費の他に鑑定料とか謝礼などをいただくのですが?」俺は苛立ちを抑えながら答える。

電話の向こうで西京極は声を張り上げた。

「じゃあ旅費のかからない近場の人に頼むので良いです。」

最初からもっとふっかければ良かった。

俺はそこで断るべきだった。でも欲をかいた。もしかすると、その『明月記』とやら、藤原定家自筆の逸文とやらがホンモノかもしれない。定家レベルだと一言一句の断片でも大発見。何か新しい知見に結びついて論文もじゃんじゃん書けるかも。俺の学者人生も安泰。アカポスもどこかで、いまさらこの年で助教は嫌だが、准教授の口くらい見つかるかも知れない。そんな算段をしてしまった。

「やれやれ。お引き受けしましょう。特別に、こみこみで五万円で。その代わりと言ってはなんですが、もし何か発見があったときは、私が最初に学会に発表します。他言は無用ですよ。」

「ええそれで結構です。それではよろしくお願いします、榎本先生。」

東海道新幹線。何度も往復していると富士山通過イベントも飽きてくる。スマホのカメラで、走ってる新幹線から電柱を撮ると斜めに写るのが珍しくて一時期良く撮ってた。今はもうそれも飽きた。もう何もすることがない、ただスマホいじってるだけ。本は読まないのかって?古書店主の俺が?普段死ぬほど読んでるからね……。

クライアントが指定した住所は「竹藪町()(での)小路(こうじ)クダル」。なんだかかゆくなりそうな嫌な地名だな。

最寄り駅からだいぶ外れたところにあるのと、朝一に待ち合わせなので、京都駅から住所を告げてタクシーに乗る。西京極邸などというからどんな立派なお屋敷かと思えば、ごちゃっとした普通の町並みの中にある普通の町屋で、間口は狭い。インターホンの呼び鈴を押すと、玄関から男が現れる。昼飯時に都会のビル街を、部下を連れて道いっぱいに広がって、その先頭を歩いているような、いかにも中小企業の社長さんのような男。彼が依頼主の西京極清正氏ご本人に違いない。

「西京極さんですね。はじめまして。」まず名刺交換。

「奥へどうぞ。」

「失礼します。」

二人とも無駄な言葉は交わさない。あくまでもビジネスライクに。紳士的に。もう互いの腹の探り合いは始まっているのだ。

おそらくそんな由緒のあるものじゃない、鰻の寝床のような、中古木造建築特有の、かすかにつんとくる、木材の(かび)たような匂いと下水のどぶ臭い匂いが入り交じった細長い建物を抜けると、両隣の家の壁に挟まれたこぢんまりした壺庭があり、築山に紅葉。池には錦鯉が二、三匹泳いでいる。ああ、俺も池の鯉に餌をやる身分になりたい。

どんづまりに行く手を塞ぐように土蔵が建っている。いかにも古めかしいが、せいぜい明治の普請か。厚い漆喰(しっくい)塗りの扉は開かれていて、鑑定の品はすでに蔵の真ん中のテーブルに据えてあった。

「ではさっそく拝見させていただきます。」

俺は儀礼的に内ポケットから白いシルクの手袋を取り出してはめる。質屋のおやじが良く使う小道具だ。

上質の和紙を墨染めの細い糸で和綴(わと)じにした冊子が五、六冊桐箱に収められている。表紙と(ふち)がじんわり焼けているもののそんなに古びてはいない。シミ、虫食い、折れ、痛み等、特に無し。もちろん江戸時代のものでもこのくらい状態の良いものはある。戦前のものであるのは間違いあるまいが、せいぜい大正。日露戦争の余燼(よじん)も消え日中の火種にもまだ(くすぶ)り出さない、世相が比較的落ち着いて子女の教育も盛んだった大正時代から昭和初期、書生や女学生たちは、こんなふうに綺麗に和紙に清書して装丁した本を好んで作り、愛蔵したものである。書体もなんとなく女手(おんなで)っぽい。かすかに香が焚き染めてあるのは、最近まで時折虫干しなどして、手入れしていたせいか。

まあ、どんなにさかのぼれても江戸末期だろうねえ。開いてみると、漢文、和文、和歌などがごちゃ混ぜに書かれている。

「いかがでしょう、紀峰(きほう)先生。」

俺は榎本紀峰という名で神田神保町の裏通りに紀峰書舗という古書店を商っている。紀峰はもちろん雅号、商売柄、はったりを効かせるための名で、非常勤講師先では戸籍の名前を使っている。

足もとを見られるわけにはいかない。俺はわざと眉間に皺を寄せてみせる。「漢文は確かに『明月記』のようですね。ですから『明月記』の写本ではあります。」

「そうでしょう。あの、藤原定家の。鎌倉初期の、新古今集の選者の一人。百人一首の作者が書いた日記。」

定家は俺の卒論のテーマだったんだ。人に教えてもらわなくたって良く知っている。

「この蔵から出たんですね?」

「ええ。」

「でもですね。鎌倉、室町に書かれても、平成に書かれても写本は写本です。いつの時代のものかが重要です。」

「そんなことは君に言われなくてもわかっているさ。」

「それに『明月記』は当時の公卿の習いで漢文で書かれているわけですよ。こんなふうに、和歌や和文がちゃんぽんになったものではありません。」

「公卿だって和文で日記を書くかも知れないじゃないか。紀貫之だって『土佐日記』を書いてる。」

「いや、」そういう問題じゃないんですと説明しようとしたが、疲れそうなのでやめた。

漢文は丁寧な楷書体で、和文もまた、流れるような崩し字で書かれている。これまた戦前に子女が手本にした書道の教科書を思わせる。ああ、古き良き時代。

「先生。『明月記』には年代に欠落が多いというじゃありませんか。実はこれが『明月記』の完本、オリジナルなのじゃないかと、思いましてね。」

『明月記』だが、定家直系の冷泉(れいぜい)家に伝わるいわゆる「自筆本」は巻物で五十六巻。これとても、定家初学の頃、十八九くらいのものは欠落している。頼朝が死に、後白河が死に、後鳥羽天皇の時代が始まった定家三十歳頃から、承久の乱の後出家引退するまでのものがぽつぽつと残る。致仕した後八十で死ぬまでの日記は確認されてない。つまり藤原定家も業務の記録として、公卿の公務として、日記を残したのに過ぎない。そう。ただの日記の中に稀に面白い記述が混じっているにすぎない。和歌の書き込みは皆無ではないが、清少納言の随筆とは性格が異なるもので、そういう風流なものではない。

その他にも自筆本から切り取られたとされる色紙のようなものがうじゃうじゃ世の中には出回ってるが、たいていはほんとに定家が書いたかすらあやしい。写本ならもっとある。全巻揃ったオリジナル本なんてものがそんなひょっこり出てくるはずがない。

「私の知る限り、ここに書かれている和歌は、定家の詠んだものじゃありませんね。」

「知られてない歌もそりゃあるでしょう。」

「そりゃまあ私だって定家の歌をすべて(そら)んじてるわけじゃありませんがね。ですがね、定家は、『明月記』とは別に『拾遺愚草』という歌集を残してましてね。『拾遺愚草員外』というのは定家の死後、晩年のものまで、私歌集に漏れたものを遺族や弟子が集めたものです。それらの歌集に載っていない、定家の歌で知られていないものはほとんどないと思います。ええ、定家の場合に限っていえば。ほかの歌人はいざ知らず。定家はほんとうにうらやましい人です。死後も彼の仕事は散逸を免れ、ほぼ完璧に後世に伝わったのですから。ほかには本居宣長くらいじゃないでしょうか、そんな恵まれた人は。で、私がざっと拝見しただけですがね、少なくとも『拾遺愚草』と重複する歌がない、定家の歌風や好みとも全然違うのはおかしいと思いませんか、西京極さん。」

彼はなおも食い下がる。「こうは言えませんかね、定家はね、まずこの日記を書いた。そして世間に公表できる歌は私歌集に載せて、公卿日記として残せるものを抜き書きした、それが今に伝わる『明月記』だと。そしてこちらのオリジナルの日記は、定家の秘本であって、公にできない和歌や逸話が載っているのだと。」

「無理があると思いますねえ。」俺は頭が痛くなってきた。

「じゃあ先生はこれが偽書だとおっしゃるので?」

「ですから、わざと偽書をこしらえようと思って書いたものではありますまい。『明月記』の写本は、「定家様(ていかよう)」と言う定家独特の、なんと言いますかね、ぽってりとした書体を真似て、定家直筆であるかのように偽装して書かれたものが多いんです。紙質もわざと古ぼけさせてね。でもこの本の書体はほっそりと、かっちりとしてる。几帳面な方が丁寧に筆写した感じです。おそらく西京極さんのご先祖で、定家がお好きな方がいらして、『明月記』を写して、そこに自分で詠んだ歌や、日記のようなものを併記した、いわば学習帳のようなものではありますまいか。

おそらく奥様の愛蔵本。書いたのも奥様本人かもしれません。お亡くなりになられたのは奥様ですか。」

「いや、当主の妻は昨年死んで、妻を追うように先日彼も死んだのだ。」

「さようですか。」まあ、ほぼ決まったようなものだな。

「価値はありますか。」

俺はぐっと言葉に詰まった。足もとを見られてはならない。

「京都の旧家の蔵から出たものですからね。江戸時代の公家が書いたものである可能性も捨てきれません。たまたまこれが、当時そこそこ名の知られた学者とか、文人とか、そんなふうな人が書いた日記であれば、学術的な価値がある場合が、ないとはいえませんが、これが定家の日記の「完本」もしくは「逸文」である可能性は、ほとんどないと思いますね。絶対ないとは言いませんよ。もっと詳しい鑑定をお望みでしたら、しばらくお借りして調べてみますが。」

西京極清正はまだ半信半疑のようだ。

「よろしいですよ、先生。お貸ししますので、良く調べていただいて、新しい発見があったら教えてください。」

「ええ。牧之内先生にも見ていただいた上で、じっくり他の古写本と校合させていただきます。」

俺は万が一、本がしけったりしないように、二重にジップロックに入れ、鞄にしまう。

「他には何かめぼしいものはありましたか。」

俺はそのとき、西京極の目がかすかに泳いだように思えた。

「いえ、特には。二束三文の掛け軸とか茶碗が出たくらいです。」

「ついでに拝見しましょうか。追加のお代はけっこうですから。いえ、単なる好奇心です。商売抜きで。」

「そうですか。ようございます。」

そうして見せてもらった品々は、明治か大正の民芸品や粗悪な洋装本ばかり。確かにこれじゃ二束三文だ。京阪の版元から出た読本(よみほん)でもないかと期待してたのに。今度は俺が落胆する番だった。今預かったこの古文書らしきものも、やっぱり同時代のもの。ここにはそんなに古いものはない。

無駄足だった。わざわざここまで来る必要すらなかった。写本を郵送してもらうか、表紙と中身を数ページ写真に撮って送ってもらうだけでよかったのだ。

どうやらこの家には客の私以外、西京極氏本人しかいないらしい。ひっそりと静まりかえり、茶も出そうにないのでそのまま引き上げることにする。

タクシー代をけちって、電車を乗り継いで、今度はK大学の牧之内研究室へ向かう。近頃は京都も地下鉄がたくさん通って便利になったもんだ。特に東西線ができて便利になった。俺が学生の頃にはまだ地下鉄は烏丸(からすま)線しかなかったんだもの。もう二十年も前のことだ。あの頃は自転車ばかり乗っていた。自転車さえあればたいていどこにでも行けた。一年もすると京都市内観光にも飽きてしまい、早くこの狭くるしい盆地から逃げ出したいと思うようになった。あのときもう少し辛抱強くこの土地に残ろうと考えていたら、今頃どうなったかわからない。

ずいぶん校舎も建て替わったが、本館は外装が改まっただけで、屋内は昔のままだ。正面の時計塔の内部は迷宮のようになっていてエレベーターもない。階段を登った六階の一角に牧之内研究室はある。新しい研究棟に移らなかったのは、牧之内教授が学内で窓際族扱いされているからというよりは、彼が自らこのように不便な、時代がかった帝冠様式の、隠れ家のような場所を所望したためだろうと思われる。

鉄とコンクリート。鉄扉はいつものように開け放たれていて、学生部屋を通り抜けると小さな間仕切りがあってそこが助手部屋。その奥が牧之内先生の居室である。両側の壁は本棚で埋め尽くされ、壁に向いて置かれた机は穿(うが)たれたくぼみのようになっている。内線は未だに黒電話。細長い部屋のどん詰まりには鋳鉄製のラジエーターが取り付けてあり、その上の窓から、寒々しい、東独の街角に彷徨(さまよ)いこんだような中庭がのぞいている。

これが日本の最高学府の教授の部屋なのだ、俺もここの住人になりたいと思ったこともあった。しかし、ケツの座りの悪い俺がこんな息苦しいところに何年もいられるはずもないってことも、明白なのだった。

東京駅で買っておいた、佃煮の折り詰めを差し出す。佃島で創業した老舗の江戸前佃煮。これは先生のご自宅用。それから定番の鳩サブレ。こちらは研究室用。仕事を紹介してもらい、鑑定も手伝ってもらうんだからこの程度の手土産は必須だ。俺はここの卒業生だし、教授も特に礼も言わずに受け取る。

そして例の西京極家の古文書を差し出す。

「西京極さんとはどういったお知り合いで?」

赤の他人がいきなり大学教授に鑑定を頼むはずもない、町の骨董屋じゃあるまいし。

「京都の西京極さんなら古い付き合いでお葬式にも参列した。そのとき東京の西京極さんとは初めてお会いして、名刺交換した。それ以来忘れていたが、急に連絡を寄越してきた。」

「それが依頼人の清正さんですね。」

「ああ。」

俺はふと気になって尋ねた。「清正さんが喪主でしたか。」清正が西京極家の当主であれば、当然彼が喪主でなくてはならない。「ほかに親族の方は?」

「いやそれが何か、内縁の妻がいたらしくてちょっと揉めてたね。」

「へえ。」奥さんは去年他界したがほかに愛人がいたってことか。俺はちょっといやな予感がした。「で、牧之内先生、これ、どう思います?」

牧之内はさっきから例の写本をぱらぱらめくっている。

「なんだろうねえ。「嘉永」とか「文久」とか、江戸末期の年号がちらほら見えるね。ひょっとすると幕末の公家の風俗資料くらいにはなるかもしれんが、だがこんなものを論文にしても、どうせ誰も読まないよ。」

「そうでしょうねえ。」

「おや、面白いことが書いてあるよ。「嵯峨野山中有贈太皇太后源賢子之菩提寺。秘仏在其墓所。施主白河院。」歌までついてる。「浅からぬ嵯峨野の山のおくつきのかくしぼとけの影をだに見む」だとさ。」

「贈太皇太后(みなもとの)賢子(かたこ)といえば、たしか、」

「白河天皇の女御、堀河天皇の生母、だな。」

「嵯峨野の山中に墓所?秘仏(かくしぼとけ)?白河天皇が中宮・源賢子のために建てた菩提寺?」

「そんな話は聞いたことがないなあ。」

「もしあったら?」

「そりゃ君。ただごとじゃないよ。平安秘仏だよ平安秘仏。しかも白河天皇ゆかりの。まず間違いなく国宝。

たとえば仁和寺の薬師如来坐像。あれ、白檀の、ほんの十センチ程度の木像だが、平成になって、白河天皇の皇子・覚行法親王の発願(ほつがん)で彫られたものだとわかって、国宝指定されたよ。

まあしかし、明治・大正の頃までに、秘仏という秘仏はほとんど、フェノロサや岡倉天心らが(あば)いてしまったからね。京都近郊だろ?嵯峨野だろ?そんなものが今更出てくるはずがない。」

「でももし出て来たら?」

「もし君がその秘仏とやらを発見したら、君は学会から岡倉天心並の扱いを受けることになるだろうね。」

牧之内は小馬鹿にしたような口調で、そう言った。

未発見の平安秘仏か。どうせガセだろうが、牧之内研究室を訪問して、少しだけ出張が楽しくなってきた。

嵯峨野と言えば天龍寺だ。藤原定家がここ小倉山麓に庵を結んで以来、鎌倉時代の皇族や西園寺氏、後醍醐天皇、足利尊氏らがこの地を愛してきた。俺は牧之内研究室の同期で、今は天龍寺に住み込みで修業している知り合いの沖田という男を思い出した。とりあえずあいつに会って相談してみよう。沖田とはすぐに連絡がとれた。洛東のK大学から洛西の嵐山へとんぼ返り。これから沖田に会っても、まだ今夜の新幹線には間に合う。

渡月橋を渡った先の蕎麦屋で沖田を待つ間俺は天ぬきを頼んで、それをつまみにさっさと酒盛りを始める。沖田はじきに来た。

「なんだ自分だけ先に飲み始めやがって。俺もおちょこを貰おうか。」

沖田は驚いたことに女連れだった。

「紹介するよ。俺たちの知り合いに僧侶の卵の、朝倉っていうやつがいたろ。」

「ああ、そういえば。」

「こちらは彼の奥さんだよ。」

「百合子です。」

卒業後、朝倉が、大学の後輩と結婚したって話は聞いたことがある。たしか結婚式はあげなかったはずだ。冠婚葬祭嫌いな俺は、どうせ呼ばれても出なかっただろうが。

「へえ。朝倉百合子さん?これまでお会いしたことはありませんでしたよね?」

彼女はちょっといたずらっぽい表情をした。「ありますよ、学生時代に、お話したこともあります。覚えてらっしゃらないでしょうけど。」

「そうですか。旧姓は?」

「山鹿です。山鹿百合子。」

山鹿百合子。だめだ。全然記憶にない。

「こりゃ失礼しました。いつどこでお会いしましたっけ。」

「いいんですのよ。」百合子はくすくす含み笑いした。

「朝倉はどうしました。」

「それが、今はスリランカにいるらしいんです。」

「あれ、チベットじゃなかったっけ?」

「あちこち修業して回ってて。」

百合子の顔が曇ったので、俺はちょっと同情した。朝倉の、よく言えば高踏的とでもいおうか、人を小馬鹿にしたような性格をよく知っていたから。

「困った旦那さんだね、奥さんをほったらかして。」

「仕方がないんです。わかった上で入籍したのだから。」

どうわかったというのだろう。

「彼女はヤショダラ姫さ。ブッダの妻の。」

沖田はそんないじわるな言い方をした。修行僧が妻子を残して家を出る。待つ身の女でいろってわけだ。世間にはそういう男女関係もあるんだろうな。

沖田は、俺の頼んだお銚子からおちょこに手酌しはじめる。あっという間にからになり、もう一本追加。ついでにお新香盛り合わせも。百合子はただ、出されたお茶に口をつけるだけで、ぼーっとしている。この女はいったい何をしについてきたのだ?

「嵯峨野に源賢子の墓所だって?しかも秘仏?そんなものがあるわけないだろ。」沖田はにべもなく言った。「それに嵯峨野と言っても広い。嵯峨野の山というと小倉山か、愛宕山(あたごやま)かもしれないし、その奥のもっと深い山かもしれん。」

京都の愛宕山は標高九百メートル以上あって、山頂には愛宕神社の総本社がある。俺も学生時代、わざわざ「火迺要慎(ひのようじん)」と書かれた火除けのお札をもらいにいったのだが、けっこう気合いを入れねば登れぬ山だ。

「嵯峨野ってだけじゃあどこにあるか何とも言えんし、あったかもしれないが今はもう残ってないかもしれない。ここの天龍寺だって、もとはと言えば後嵯峨天皇の離宮だったが、足利尊氏が後醍醐天皇を鎮魂するために建立したんだ。後嵯峨天皇の時代から何度も焼失している。白河天皇は確かに嵐山に御幸したことがある。桓武天皇の行幸に倣って。」

「大井川ふるき流れをたづねきて嵐の山のもみぢをぞ見る。」

「そう、それそれ。その時代の寺がそのまま残っているはずがない。だいたいその西京極というのは何者だ。公家の末裔なのか。」

「ああ。室町時代に冷泉家から分かれた、などと聞いた。だから定家ゆかりの古文書が出るのだと。」

「戦前は華族だった?」

「ああ。子爵だったそうだ。」

「華族はみんな京都から東京に引っ越したはずだろう。なぜここらあたりに地所が残っている?」

実は冷泉家から分かれた上冷泉家は京都に残留したのだが、ほとんどの公家は明治天皇の後を追って東京に移り住んだのである。

「俺がさっき会ったクライアントは西京極家の当主でキヨマサっていう人なんだけどさ。牧之内先生によれば、西京極家は、東京に移った本家と、京都に残った分家があったらしいよ。でもその分家がとうとう絶えたので、本家が遺産を整理することになった。清正さんがその京都の分家の蔵を整理してて、」

「それで古文書が出て来たと。」

「そう。それで俺が呼ばれた。だけどその西京極清正に鑑定料を値切られた。」

「ふうん。」

「けちなやつなんだ。東京京都の往復旅費だけで鑑定しろ、なんてさ。」

「そんな案件を受けるおまえが悪い。」

沖田がトイレに立ったすきに、百合子が俺に話しかけてきた。

「あの、榎本さんは、仏教美術の研究者なのですか。」

「ああ。そう言われればそうと言えなくもないけど。」

文学や美学なぞ専攻して、骨董好きが昂じて就職もままならないし、そもそもサラリーマンにははなからなる気はなくて売れない古本屋を始めた。大学時代の知り合いに仏教関係者が多かったから、そっちの世界のことも多少は知っている。

「それで、西京極家の資産について調査してらっしゃるんですか。」

「まあね、最初は本の鑑定だけだったんだが。」

「すみません。いきなり、たいへん失礼かとは思うのですが、今晩もしお時間があったら、相談に乗っていただきたいことがあるんですけど。」

いや、俺は今晩新幹線で東京に帰るんだ、と言おうとしたんだが、彼女の訴えるような瞳と目が合ってしまい、俺はぐっとこらえた。出張が長引く可能性もあったので、切符はまだ買っていなかったし、明日の予定も開けてある。

「それはあなたが俺に仕事の依頼がしたいってことでいいのか。」

「そうお考えになられてけっこうです。」

「当然報酬は要求するぜ。とりあえずは、今夜の俺の宿泊費。当然の必要経費だが。」

「もちろんかまいません。」

「もしかしてあなたは、西京極家の関係者?」

「ええ。私の亡くなった父が、西京極です。」

「つまり京都の分家の?京都の分家が絶えたので、東京から資産を整理しに来たって聞いたが。」

「東京の西京極が分家ですのよ。」

どっちが本家でどっちが分家かなんて知ったことじゃない。

「それにしちゃあなたはずいぶん若いじゃないか。亡くなられた当主ご夫妻は相当高齢だったはずだが。」

「私、西京極の妾の子なんです。母は、籍は入れてなかったんです。」

「ははん。そういうことか。」

ずいぶんと奇遇だ。東京の西京極と、京都の西京極。その二方(ふたかた)のクライアントから、どうやら俺は依頼を受けることになるらしい。話が込み入ってきた。察するに、この朝倉百合子という女は、俺が西京極から依頼を受けているってことを沖田に聞いて知った。だからわざわざ沖田にくっついて、俺に会いにきたのだ。そうに違いない。

「百合子さん、あなたはどうして今日沖田といっしょにいたんですか。」

「それはその、夫の仕事の関係で、今日はたまたま天龍寺に用事がありまして、お昼休みだけちょっと抜けてきたのです。」

「へえ。」どうも言ってることがあやしい。

沖田がトイレから戻ってきた。百合子は胸にさした万年筆で電話番号を箸袋に殴り書きして俺に手渡した。彼女の目が、沖田には内緒にしてくれと言っている。俺はその箸袋をさりげなく尻のポケットにしまった。

どうやらこの女は秘仏について何かを知っているらしい。

話を聞いてみる価値はあるなと俺は思った。

昼時を過ぎてから、蕎麦屋は観光客で混み合ってきた。外にはいつの間にか行列ができている。別に先客の俺たちが慌てる必要はないのだが、俺は早く出たくてそわそわしてきた。

「おまえ、酒なんか飲んじまって、午後の仕事はどうするつもりだ。」

「何、このくらいなんてことない。」

「お寺は不許葷酒入山門だろ?」

「なにありゃあただの般若湯さ。」

良い気分に酔っ払った沖田は百合子といっしょに渡月橋を渡って帰っていった。

しばらく間をおいて俺は百合子に電話する。

「榎本さん、祇園の縁切り神社ってご存知ですか。」

「ええっと。なんだかネットで見た覚えがあるが。近頃有名なパワースポットだろ、たしか。」

百合子はくすくす笑った。

「安井金毘羅宮。祭神は崇徳院と源頼政。その近くに私の母がやってるお店があります。」

楽しいね。京都は実に愉快なところだ。東京では絶対、源頼政や崇徳院が神社の祭神になることはない。

「飲み屋か?」

「ええ。「久美子」という名の小料理屋です。」

「住所さえ教えてくれりゃグーグルマップ見てたどり着けるよ。」

百合子はその住所を俺に告げた。

「では、お待ちしています。」

「久美子というのは君の母親の名か。」

「そうです。」

今度は祇園か。やれやれ。京都市街を西東。忙しい日だな。

俺はまず、慌てず騒がず、東山辺りのビジネスホテルを予約して、チェックインした。

俺は一応、西京極清正に一言報告をしておくことにした。こういうことは早めにやっとくに限る。「西京極さん?」

「はい。」

「榎本ですが、あれからK大の牧之内先生のところへ寄りました。それで少々気になる記述があったんですが、西京極家に伝わる、平安時代の秘仏というものがあると、聞いたことがありますか?」

「ええ、あります。祖父や父が言っておりましたから。実はそれが蔵から出てくるんじゃないかと、私も期待していたんですがね。」

「なかったと。」どうやら彼のお目当ても秘仏だったのだ。「で、何か手がかりになりそうなものは出ましたか。」

「もうご承知のようですから話しますと、仏像の模写がありました。表装して、掛け軸に仕立ててありまして、由来が書き添えてある。図像は立て膝で、上あがり(かまち)か何かに腰掛けたようなくだけた姿勢。手には一輪の花を持っている。私には観音像のように見えました。

それから古地図、これがどうも秘仏と関係あるらしいんですが、よくわからん地図なのです。たぶん、わざとわかりにくいように描いてある。東西南北もはっきりしないし、地形も(ゆが)んでいるようだ。榎本先生にもお見せしたほうがよろしいですか。」

「いずれ必要があれば見せてください。私のほうで調べたいことがあります。」

「そうですか。では何かわかりましたら、随時知らせてください。」

「ほかに手がかりらしきものはありませんでしたか。たとえば、資産目録とか。土地の登記簿とか。」

「そうですなあ。江戸時代の大福帳やら、明治から平成まで、法事や茶会関係の目録や名簿、領収書らしきものがどっさりでましたがね。」

うげっ。これだから旧家は困る。気が遠くなる話だが、それらも調べれば何か出てくる可能性がないとはいえない。

「ふむ。なるほど。いずれまたお伺いするかもしれませんが、くれぐれも内密にしてくださいよ。」

「それはこちらの言うセリフですな。」

「追加の調査料を請求してもよろしいですか?」

しばらく沈黙があった。

「そちらの件はそちらでもう弁護士に頼んであるのですが。まあよろしい。請求書を出していただいて、それを見てから決めてよろしいか。」

またずいぶんと渋ちんだ。だいたいこういうやつは請求書送ったとたん黙り込むんだよ。まあいい。乗りかかった船だ。こうなるとどうしても真相を知りたい。

「ええ。極力こまめに報告しますから、そのつど請求書を送ります。」

汗をかいてひとっぷろ浴びたい気分だったので、シャワーだけ浴び、朝が早かったせいでやたらと眠いのでベッドで一、二時間ばかり仮眠した。それから安井金毘羅宮とやらまで祇園の花街をぶらぶら歩いて来てみると、そこはやたらと女性の参拝客で賑わっている神社だった。「悪縁を切り良縁を結ぶ祈願所」らしい。全国から芸妓やキャバ嬢らがわんさと集まる祇園だからこそ需要があるのだろう。

お茶屋の赤い提灯が並んだ石畳の小道をひやかしながら「久美子」を探してうろつきまわるうちに次第に日は暮れてくる。狭い露地のそのまた奥にある、五坪ほどの家にその看板は小さく出ていた。格子戸の上に丸くかわいらしい黄色い磨りガラスの外灯がともっていて、一見お茶屋風だが、ただの(ひと)()にも見える。やはりここらしい。あたりには同じような家がごちゃごちゃ建てこんでる。軒並み再建築不可物件ばかりだ。魔界だな。昔はこんな町並みが好きだったこともあるが、自分で家探しして、不動産のことを少し勉強してみると、とてもじゃないが住みたいって気にはなれない。

戸はしまっているが鍵はかかってない。「榎本です」と名乗ると「いらっしゃい」と中から女の声がするので入る。

シックな絞り染めの浴衣を着こなした中年の女将がタオルで手を(ぬぐ)いながら出迎えた。緑色のアイシャドウのせいか、いかにも祇園のママらしい濃い派手な顔つきをしている。五十は過ぎてるだろう。若い頃は美人だったに違いない。今は二重あごに樽のように太い体で年相応と言ったところか。きっとわけありな人生を送ってきたのだろう。

「はじめまして。山鹿久美子と申します。」

そう名乗られる前から彼女が百合子の母・久美子だってことはわかりすぎるくらいわかっていたよ。

「紀峰先生、さあ、奥の座敷へどうぞ。」

奥と言っても三畳ばかりの畳席があるばかり。その暗がりにいてスマホをいじっている女は百合子らしい。

「いいです。かえって話しにくい。カウンターでいいです。」

「何をお飲みになります。」百合子が出て来て俺に聞く。彼女はさっきと同じでほとんどすっぴんだ。

商談のはずだが、酒を出すというのなら飲んでやろう。

「じゃ、瓶ビールで。」

久美子はすかさずコップと小鉢をカウンター越しに俺に手渡し、手ずから俺に瓶ビールを注ぐ。瓶の口まで泡がのぼってきてドームのように丸く膨らみ、俺の顔を映したかと思うと、ぱちんとはじけた。それから百合子がおしぼりをもってくる。

「西京極家は、冷泉家の子孫だそうですね。」ビールで喉をしめらせ、俺は久美子に話しかける。

「違います。定家の血筋ではありません。藤原師実(もろざね)の子孫です。」

「師実?なんだ。摂家じゃないか。」

「あなた師実をご存じですか。」

「いや、そりゃあ一通りは。師実は道長の孫。頼通の子。師実は頼通が得体の知れない女に産ませた末っ子で本来は藤氏長者になるはずじゃなかったが、正室の子が死んだり、側室の子らが正室を憚って養子に出されたり坊さんになったりしたんで、運良く嫡男になったんだよな。」

「得体の知れない女ですって。まあ、なんてひどいことを。師実の母は村上源氏。頼通の正室(たか)(ひめ)女王の姪に当たるのですよ。」

「へえ。そうなんですか。」

「隆姫は村上天皇の皇子具平(ともひら)親王の長女。師実の母祇子は具平親王の落胤藤原頼成の娘大顔(おほがほ)なのです。」大顔とはすごい名だな。よほど顔がでかい女だったのだろう。「隆姫には子ができなかったので、頼通の庶子通房と村上源氏師房の娘妧子を結婚させて通房を嫡男としたのだけど、通房が死んだので、隆姫は姪祇子を頼通の側室に据え、祇子が師実を産んだので彼を嫡男とした。師実にもまた女子が生まれなかったので、祇子は村上源氏の賢子を養女にし、白河天皇に入内させた。」

「ははあ。そこで白河天皇女御の源賢子とつながるってわけか。」

師実は後三条天皇の治世に活躍し、白河天皇の代に従一位、摂政、関白、太政大臣。位人臣を極めるとは彼のような人を言うのだった。頼通の子師実は実の娘がいなかったので、村上源氏顕房の娘賢子を養女にして白河天皇に入内させた。村上源氏が北畠親房の頃まで名門公家として続いたのはこの賢子のおかげなのである。

「ええ。師実に師康(もろやす)という子がいました。師康が西京極家の始祖です。」

もろやす?はて、藤原師康?知らんな、誰だそれ。

中臣鎌足の子孫、藤原氏の家系を完全に把握している人などいるはずもない。どんな専門家でも、どんな大学者でも。俺も一度徹底的に調べようとして(さじ)を投げた。藤原氏は歴史に名が残っているだけで何万人にもなる。

この、山鹿久美子という女が言うことがほんとうならば、西京極家はものすごく古い、由緒のある家系ということになる。鎌倉時代に定家の家系から冷泉家がわかれるよりもさらに二百年も前のことだ。ほんとならばだが。

「単刀直入に聞こうじゃないか。山鹿さん。あなたは秘仏のありかを知っているのですか。」

「はい。」きっぱり言い切った。

「ほほう?」俺は驚きと焦りを表情に出さないよう用心する。「その秘仏は誰にも知られてない?」

「はい。」

「なぜ?」

「西京極家が代々、他家には秘密にしてきたからです。始祖の師康以来。」

「千年近くも隠し通せたというのか。」

「ええ。」

あり得ない。

千年という歳月がどんなにすごいことかこの人には理解できているのだろうか?

「それは西京極家の持ち物なのですか?」

「いいえ。今は私個人の所有物です。」

「つまり?」

「私が夫の西京極からもらい受けたのです。私は内縁の妻でしたから、遺産相続権がありません。」ははあ。これでつながった。この久美子という女が、清正と喪主を争った内縁の妻か。「ですので、生前に、夫から私が贈与を受けました。夫が死んでしまえば、遺産は全部東京の西京極家が相続してしまう。だから、夫は急いだのです。土地の権利書もあります。名義は夫から私に書き換えてあります。」

「土地の権利書?つまり、秘仏はお寺か何かに安置してあるのですか?権利書はその寺のもの?」

「寺ではありません。昔は何か建ってたかしれませんが、今は何もありません。嵯峨野の奥のただの雑木林ですが、山をくりぬいて、石造りの(むろ)があります。」

「そこが源賢子の墓所だというのか。」

「はい。」

俺の奥歯ががちがち鳴り始めた。もしその話が真実ならばどえらいことだ。

「秘仏とは?」

「墓所内の厨子に納められている、木造に金箔を貼った観音座像です。白河天皇が賢子を模して作らせたものだと言われています。仏像のよしあしは私にはわかりませんが、とても優美な、美しい像だと思います。大きさは等身大ほどですが、保存状態は非常によくて、金箔や塗装も良く残り、どこも欠けたところはありません。」

清正が言っていた模写の特徴に一致する。俺は腰ポケットから絹のハンカチを取り出して額をぬぐった。これは本来、掛け軸を鑑定するときなどに口にくわえてクライアントにそれっぽく見せるアイテムなのだが。

「山鹿久美子さん。ずいぶんと面白い話をこしらえましたね。あなたは俺をだまそうとしているね。」

「なぜです。」

「そんなうまい話があるはずがない。贋作を高く売りつけようったって、俺は騙されないよ。」