私はアパマに耳打ちした。「アマストリーの父とガンダーラの太守もいるのだ。話が早い。あなたからご説明しなさい。」
アパマは頷いた。
「おたのしみのところ失礼します、実は、アマストリー様が、ここの牧場で飼われている象をごらんになり、どうしても乗ってみたいとおっしゃっておられまして。」
「象に乗りたいだって?」ヴァクシュヴァルダがあきれ声で言う。
「誰だ、そのアマストリーというのは。」アルダナーラが尋ねる。
「私の娘です。」とヴァクシュヴァルダ。
「ほほう?つまり、ペルシャ王女にして、マケドニア王の義理の妹君が、象に乗りたがっておるということだな。どんな象が良い?雄か雌か。子供か大人か。」
「いえ、すみません。そこまで詳しくは、うけたまわっておりませんでした。」
「アパマさんとやら。よろしい。では私が姫に似つかわしそうな象を一頭見繕って、差し上げましょう。」
「象を?あなたがアマストリー様に贈るとおっしゃるのですか?」アパマはぎょっとした。「いえ、ただほんのちょっと乗るだけで、姫は気が済むかと思いますが。」
「ヴァクシュヴァルダ殿。ほんのお近づきの印じゃ。受け取ってもらいたい。」
「それでは遠慮無く。」
ものすごく嫌な予感がした。アパマも顔をしかめている。あのおてんば娘のことだ。象一頭もらった日には、大喜びして何をしでかすかわからぬ。私はプトレマイオスやヴァクシュヴァルダに目配せしたが、彼らはきょとんとしていて何も察しないようす。
「私もご返礼に、ソグド産の駿馬をご進呈せねばなりませぬな。」ヴァクシュヴァルダは陽気に笑った。
手回し良く翌朝にはアルダナーラが調達した一頭の子象が、アマストリーの幕屋の前まで連れてこられていた。
「この子の名前はアイラーンジャナーちゃんって言うのよ!すごく素敵な名前ね。」アマストリーが興奮して叫んだ。
「そうですか。」
アマストリーはアイラーンジャナーのこめかみのあたりをそっとなでさすった。
「動物というものは、自分に乗る人が怖がっているかどうかわかるのよ。体や足の震えとか、汗のにおいでね。だから動物嫌いな人が乗ると動物は、暴れたり走り出したり振り落とそうとしたり、突然おかしな行動に出る。でも私は大丈夫。姉やアパマと違って生まれながらに動物好きだから。驢馬でも馬でも牛でも、私は乗り慣れているし、慣れてて全然怖がってない人が乗れば動物はあっさり、おとなしく乗せてくれるものなの。ほらごらん。アイラちゃんは私が好きみたい。」
「はあ。」
思った通りの反応だ。
私はとりあえず説得を試みた。
「姫、あなたには無理です。象から落ちて、首の骨を折るのがオチですぞ。落ちるだけでなく象に足で踏み潰されるかもしれません。」
「大丈夫じゃ。とてもかわいらしくおとなしい子。私がほら、こうして撫でても全然嫌がらぬ。私の好きなように触らせてくれる。」
「もしかしてもう、乗ってみたのですか。」
「いや、まだだが。ほら見て、アイラちゃんは、私の手から鼻でリンゴを取って、まるごと口に放り込んで、ショリショリかじるのじゃ。かわいいぞ。」
「そうですね。」
「今日は町中、アイラちゃんに乗って見て回ろうと思っておる。」
「およしなさい。あんな騒々しい町なかでは何が起きるかしれません。いつ急にこの、アイラちゃんが、人か犬か何かに驚いて、暴れ出すかもしれません。」
「大丈夫だよ。ほらごらん。ああして子供らも象に乗っておるではないか。インド人の子が象に乗れるのだから、ペルシャ人の子も乗れるはずだ。」
「あなたは王族の娘なのですよ。庶民の子とはわけが違う。軽挙は謹んでください。万一のことがあればあなたの教育係を命じられている私がその責めを負うのですよ。」
「責任責任。大人は窮屈じゃな。そなたもアパマも。」
「世の中はそうしたものです。」
「ではエウメネス先生。あなたも同乗してはどうか。」
「同乗?あなたと?」
「そうだ。そなたが私を背中からしっかり抱いておいてくれれば、めったなことでは落ちることはあるまい。」
「私があなたを抱く?そんな恐れ多いことはできません。」
「先生。もしかして照れているのか。かまわん。私は気にしないよ。」
「いえ。あなたがかまわなくても私がかまいます。」
結局私はその日の午後、アマストリーと一緒にアイラちゃんに乗って、市中を観光することになってしまった。私が先によじのぼり、彼女の手を取って引っ張り上げる。みんなが私たち二人を見て笑ってる。とんだし者だ。なぜだか背中にとりわけ強い視線を感じる。振り返るとヘファイスティオンだった。ニヤニヤ笑っている。
「そうか。おまえの本命はアパマじゃなくてアマストリーだったわけか。」
「変な勘ぐりはやめてください。姫、ほら、あそこにあなたと一緒に乗りたがってる男がいますよ。代わりましょうか。」
アマストリーは私の顔をみつめると、無口になり、肩をふるわせ始めた。
「そんなに私と一緒にアイラちゃんに乗るのがいやなのか?」
ああ。また始まった。後ろ姿で顔は見えないが泣いているのだろう。アマストリーは怒るといつもこうなのだ。面倒な子供だ。私はもう何も反論しないことに決めた。

アイラーンジャナーは色とりどりの宝玉を編み込んだベールを頭にかぶっている。インドで王族が乗る象にだけ許された飾りだ。
アマストリーは緑色がかった生成りの絹糸で織られた涼しげなガウンを着ている。
そこに私のいでたちはといえば、いつもの武骨一片の、汗がしみこんだ、鹿のなめし革の戎服だ。
「獣臭くありませんか、姫。」
「別に。おまえの服のことか。全然気にしないぞ私は。」
みなが我らを乗せたアイラーンジャナーを唖然と見上げ、道を左右に譲る。
「ほらごらん。全然大丈夫ではないか。せっかくだからぐらいさせてみようか。」
そう言ってアマストリーはを振り上げ、アイラの尻をペシペシと叩く。
「そら走れ。アイラーンジャナー号!おまえの本気を見せてみろ。」
アイラは歩幅を少し広げて、かわいらしいを上げて、子象ながらに大地をドシンドシンと踏みかせながら、天下の大通りを早足でし始めた。ずいぶん揺れる。縦にも横にも。
「危ない、姫。」
「何をする。私の腹をつまむな。くすぐったいではないか。」
「あなたが自分で言ったのですよ、私にうしろからしっかりつかまえておいてくれと。」「私のおなかをさすったりつまんだりしてよいとは言ってない。」
「そんなことしてませんよ。ああ、アパマさんを歩かせてやってください。」
けなげにもアパマが、ハアハアと息を切らしながら、私たちの後を小走りでついてくる。
「大丈夫だよアパマは。走るのが好きだから。」
「全然そうは見えませんけど?ずいぶん苦しそうです。」
「はは。楽しいな、」アマストリーはすっかり機嫌を直した。「おや、あの者らは、一体なにをしておるのだろうか。先生ご存じか。へんてこな神像を担ぎ、大声で歌い騒いでいるようだが。何かのお祭りかな。おかしな祭りじゃな。」
お香の煙がたちこめる中、陶酔的な音楽に合わせて、男女がになってうごめき絡まりあう舞踊に、アマストリーが目をきらきらさせている。
「姫には目の毒です。見てはなりません。」
「私もあれが飲んでみたい。葡萄のジュースのようだが。」
「あれはお酒です。あなたはまだ飲んではなりません。」
「そうです。お酒は大人になってから飲むものですよ、アマストリー様。」
「アパマ。侍女の分際でよけいな口出しをするな。おまえは私の教育係ではない。」
意地の悪い小娘だ。
「そうだ、アパマさん、あなたは飲むかな。私もガンダーラの葡萄酒とやらが、どんな味がするか試しに飲んでみたい。」
「なんじゃ。大人たちばかり、ずるいではないか。」
アパマはアマストリーの剣幕に、おどおどしながら答える。
「せっかくですが先生、私はお酒はあまり強くありませんから、ご遠慮いたします。」
「そうですか。姫の手前、酔っ払うわけにもいかないでしょうなあ。」
