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古地図

北条氏康時代の江戸の地図というものがあって、形は不正確ではあっても、トポロジー的にはある程度信用できるのではないか。そうすると今、徳川入府以前の江戸推定図というのがいろいろネットにはあるのだが、どれも信用できない。江戸城の東はすぐ海になっていて日比谷入江というものがあり、その先に江戸前島というものがあった。ところが氏康君の地図には築地が島として描かれている。月島、佃島も当然島である。となるとこの築地島というものが前島なのではないかと思われてくる。

下谷と浅草と鳥越は一つの島で描かれている。同じく、石浜、三河島、箕輪(三ノ輪)も一つの島である。またかつて千束池、お玉ヶ池などがあり、上野と浅草の間は広い湿地帯であったこと、また地理院の標高図など、総合的に考慮すれば、私としては右のような地図を予想せざるを得ない。

実は氏康よりももっと古い時代には、隅田川が下谷と谷中の間を通り、お玉ヶ池を抜けて、鳥越の南から江戸湊に出ていたのではなかったかと想像できるのである。しかしこの三河島の南を通っていた川というものは今はほぼ痕跡を留めていない。鳥越川も暗渠になってほぼその姿を留めない。

おそらく釜ヶ崎方面を隅田川が流れるようになって、急速に、お玉ヶ池は埋まっていき、川としての機能を失ってしまったのだと思う。

今の日本橋、伝馬町、馬喰町あたりはわりと開けた平地であったと思う。ここに氏康時代にすでに江戸城下というものが形成されたのは当然と言える。千束池というのは今の山谷のことであろう。

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