兜の水の件の続き。
Sextus Julius Frontinus。AD1世紀後半から2世紀のはじめまでに活躍した帝政ローマの法務官。ブリタニア長官をやったり、ローマ水道長官をやったりしている。現場監督、技師、実務家といった感じ。
彼が著した Iuli Frontini Strategematon (Strategemata)というものが、プルタルコスやアッリアノスによる兜一杯の水の原典に当たるらしい。Polyaenus という人も Strategamata を書いているが、少し時代が遅れる。
ラテン語のストラテガマタ、或いはストラテガマトンがギリシャ語のストラテゴス(将軍)から来ているのは明らかだ。軍事戦略集とでも訳すのが無難か。
思うに、フロンティヌスは兜の水ネタをブリタニア属州だか、水道工事の現場だかで、聞いて、それをそのまま記したのだろう。それがおよそ AD100年くらいだったとして、アレクサンドロス大王の遠征がBC333年くらいだから、400年以上の間があるわけで、史実であるはずがない。こういう話はせいぜい50年くらい前に帝政ローマのどこかで実際に起きた話が膨らんで、アレクサンドロス大王の事績であったことにされてしまったのに違いない。
もしかすると、水道工事の現場監督が部下から兜一杯の水をもらったのだが、虫の居所が悪くてそれを地面にぶちまけた。もとももとは良い話なのか悪い話なのか不明な出来事というに過ぎなかったのが、次第に美談のように脚色されていった、というのが真相ではあるまいか。
今見ると、「エウメネス」のgoogle検索、KDPの私の本は1ページ目に、しかしこのサイトは6ページ目に落ちていた。けっこう変動するー。
